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東京地方裁判所 昭和55年(行ウ)86号 判決

原告

関英夫

右訴訟代理人弁護士

黒澤辰三

被告

芝税務署長

深谷和夫

右指定代理人

布村重成

外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、昭和五二年六月二九日付けで原告に対し芝資特第七九号をもつてした相続税の再更正(ただし、異議決定による取消し後のもの)及び過少申告加算税賦課決定(ただし、異議決定及び審査裁決による取消し後のもの)を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  亡関金松(以下「訴外金松」という。)は、昭和四九年三月一四日死亡し、その子である長女訴外伊東千枝子(以下「訴外千枝子」という。)、長男原告及び次女同甘粕洋子(以下「訴外洋子」という。)が訴外金松の相続(以下「本件相続」という。)をした。

2  原告は、本件相続につき申告期限内である昭和四九年九月一四日、別表一1の期限内申告欄記載のとおり相続税の申告をし、次いで、昭和五〇年九月一三日 相続人間で一部分割の調停が成立したこと、相続財産の評価に誤りがあつたこと及び相続財産の一部申告漏れがあつたことから別表一2の更正の請求欄記載のとおり相続税の更正の請求をした。

3  被告は、原告に対し、昭和五二年六月二九日別表一3の更正欄記載のとおり相続税の更正を、同日芝資特第七九号をもつて別表一4の再更正欄記載のとおり相続税の再更正(以下「本件更正処分」という。)並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定(以下「本件決定処分」といい、本件更正処分と併せて「本件処分」という。)を、同年九月一四日別表一5の再々更正欄記載のとおり本件処分による相続税の再々更正並びに過少申告加算税及び重加算税の賦課決定(いずれも減額処分)をした。

4  本件処分については、別表一5、8、10及び11の各欄記載のとおり不服申立て手続きが経由されている。

5  本件更正処分(ただし、異議決定による取消し後のもの。以下同じ。)及び本件決定処分(ただし、異議決定及び審査裁決による取消し後のものであり、そのうち重加算税は過少申告加算税に縮減されている。以下同じ。)は、相続財産の総額及び原告の相続した財産の価格を誤つた違法なものであるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし4の事実は認め、5は争う。

三  抗弁

1  相続財産の総額 三億五七五二万七〇四八円

原告、訴外千枝子及び同洋子が、同金松の相続人として相続した相続財産及びその価額は、次のとおりである。

(一) 土地 一億六一八一万八七五七円

(1) 東京都港区西久保明舟町一七番一の宅地

569.68平方メートル(以下「明舟町の土地」という。) 七五一二万五一八〇円

(2) 同区西新橋一丁目五番六の宅地

134.53平方メートル(以下「西新橋一丁目の土地」という。) 八二八七万六八〇二円

(3) 同区西新橋三丁目九九番七の宅地

71.73平方メートル(以下「西新橋三丁目の土地」という。)の三分の一の共有持分 三八一万六七七五円

(二) 建物 五七万九九一三円

(1) 西新橋一丁目の土地上に存在する建物(以下「西新橋一丁目の建物」という。) 三八万九四八〇円

(2) 西新橋三丁目の土地上に存在する建物(以下「西新橋三丁目の建物」という。)に対する三分の一の共有持分 一九万〇四三三円

(三) 株式 五〇八八万八六〇〇円

株式会社関鉄工所(以下「訴外会社」という。)の株式一五万六一〇〇株

(四) 預金 五八四〇万八五五九円

(1) 港信用金庫芝支店 一六〇五万三二六〇円

(ア) 定期預金(訴外金松名義) 五四〇万円

(イ) 同(関ヨシ子名義) 三五〇万円

(ウ) 同(関兼英名義) 二七〇万円

(エ) 同(関映子名義) 一五〇万円

(オ) 同(関由見子名義) 二九〇万円

(カ) 右(ア)ないし(オ)記載の各定期預金の既経過利息 五万三二六〇円

(キ) 右(ア)ないし(オ)記載の各定期預金の原資は、別表二記載のとおりであるが、そのうち無記名式貸付信託一一口は、原告が訴外金松の遺産を記載した自筆メモ(以下「本件メモ」という。)の「安田(虎ノ門)定期B二〇〇〇万円」との記載に該当する無記名式貸付信託二一口のうちの一部であること、原告が訴外金松の遺産に関するものであると申述のうえ提出した三個の風呂敷包の中に入つていた貸付信託売渡代金計算書、指定金銭信託元本払戻計算書、貸付信託収益配当金支払内訳票、貸付信託収益の案内、定期預金解約利息計算書、記帳の案内、預金通帳等及び印鑑(以下右風呂敷包の中に入つていたこれらのものを併せて「本件書類等」という。)のうちに、右無記名式貸付信託二一口の大部分に係る売渡代金計算書及び収益配当金に係る計算書が入つていたこと、原告が相続税の申告に当たり訴外金松の遺産として申告した後記(六)(1)(ウ)、(エ)記載の各貸付金の原資は、右無記名式貸付信託二一口の一部(一〇口)の元本払戻金、売却代金等からなるものであること、右(ア)ないし(オ)記載の各定期預金はその管理状況から同一名義人に属するものと考えられるところ、そのうち、(ア)記載の定期預金については原告も訴外金松の遺産であることは認めていることからすれば、右(ア)ないし(オ)記載の各定期預金はいずれも訴外金松の遺産である。

なお、(ア)のうち三〇万円を超える部分及び(カ)の既経過利息のうち二九九六円を超える部分についての原告の自白の撤回(後記四2(一)(1))については異議がある。右自白に係るものの原資が訴外金松の遺産ではない原告及びその家族名義の定期預金、貸付信託等であるとの原告主張事実(後記四2(一)(1))は否認する。

(2) 住友銀行虎ノ門支店 二七〇一万五二七五円

(ア) 特別定期預金(原告名義、番号一一二三九二) 二二〇万円

(イ) 同(同、番号一一二三八一) 六六〇万円

(ウ) 同(同、番号一一二三六九) 二二〇万円

(エ) 同(同、番号一一二四二七) 二六〇万円

(オ) 同(同、番号一一二四〇五) 三一〇万円

(カ) 同(同、番号一一二四一六) 一〇四万円

(キ) 定期預金(同、番号一一二三三六) 二三七万七〇〇〇円

(ク) 同(同、番号一一二三二五) 一〇七万三〇〇〇円

(ケ) 同(同、番号一一二三四七) 一〇五万円

(コ) 同(同、番号一一二三五八) 二五〇万円

(サ) 同(同、番号一五六七七八) 一〇〇万円

(シ) 同(同、番号一九五一三二) 一〇〇万円

(ス) 右(ア)ないし(シ)記載の各定期預金の既経過利息 二七万五二七五円

(セ) 右(ア)ないし(コ)記載の各定期預金の書換等の状況は別表三記載のとおりであるが、書換えの前後を通じてその預金証書番号は概ね連続しており(下一けたはチェック・ディジットと呼ばれる余分な数字である。)、かつ、預金証書の管理、運用面からみても同一人に帰属する預金であると認められるところ、右(ア)ないし(コ)記載の各定期預金は本件メモの「住友(虎ノ門)定期B二〇〇〇万」との記載に該当するものであること、右(ア)ないし(コ)記載の各定期預金はいずれも訴外会社の借入金の担保として昭和四一年以降住友銀行虎ノ門支店に差入れられていたものであるが、そのうち(エ)及び(カ)記載の各定期預金については、同銀行に昭和四一年五月七日付けで担保提供されるに際し、訴外金松の定期預金である旨の念書が提出されていることからすれば、右(ア)ないし(コ)記載の各定期預金は、いずれも訴外金松の遺産である。また、右(サ)及び(シ)記載の定期預金も訴外金松の遺産である。

(3) 日本信託銀行新橋支店 五〇二万五五八二円

(ア) 特別定期預金(無記名、番号三五九七一) 五〇万円

(イ) 同(無記名、番号三五九七二) 四〇〇万円

(ウ) 同(無記名、番号三五九七三) 五〇万円

(エ) 右(ア)ないし(ウ)記載の各定期預金の既経過利息 二万五五八二円

(オ) 右(ア)ないし(ウ)記載の各定期預金が設定された際に届け出られた印鑑の印影は、本件書類等の中の印鑑の印影であるから、右各定期預金はいずれも訴外金松の遺産である。

(4) 富士銀行中野支店 七三四万二七七六円

(ア) 定期預金(福井吉次名義) 一〇〇万円

(イ) 同(福井一郎名義) 五三万円

(ウ) 同(島津広介名義) 八〇万円

(エ) 同(渡辺義雄名義) 九〇万円

(オ) 同(福田市郎名義) 七〇万円

(カ) 同(竹内一夫名義) 七〇万円

(キ) 同(山本英一名義) 一二〇万円

(ク) 同(溝口弘明名義) 一二〇万円

(ケ) 右(ア)ないし(ク)記載の各定期預金の既経過利息 三一万二七七六円

(コ) 本件書類等の中に、右(ア)ないし(ク)記載の各定期預金の利息計算書があつたから、右各定期預金は、いずれも訴外金松の遺産である。

(5) 東海銀行虎ノ門支店 五万一〇四一円

(6) 第一勧業銀行日比谷支店 二五四万四二二九円

(7) 安田信託銀行虎ノ門支店 三七万六三九六円

(五) 貸付信託受益証券(安田信託銀行虎ノ門支店) 九五万七六二九円

(1) 関由見子名義 三〇万四〇九一円

(2) 関ヨシ子名義 五〇万一四九三円

(3) 関映子名義 五万〇六八二円

(4) 関兼英名義 一〇万一三六三円

(5) 本件書類等の中に、右(1)ないし(4)記載の右各貸付信託受益証券の売渡代金計算書等の書類が存在していたこと、訴外金松並びに原告及びその家族名義の各貸付信託及び金銭信託はその管理状況から各名義人に帰属するものではなく、同一人に帰属するものというべきところ、その原資の一部には、訴外金松の預金の払戻金も含まれているうえ、貸付信託及び金銭信託の売却代金等を原資とする預金、訴外会社に対する貸付金等には、その原資の名義に関係なく、訴外金松名義とされているものがあることからすれば、右(1)ないし(4)記載の各貸付信託受益証券は、いずれも訴外金松の遺産である。

(六) 貸付金(貸付先はいずれも訴外会社)六二九三万八九二四円及びその既経過利息二九七万九七一一円計六五九一万八六三五円

(1) 原告申告分 三三一二万八八二六円

原告が相続税の申告に当たり相続財産とし申告した貸主の名義を訴外金松とするもので、次の(ア)ないし(オ)の合計から(カ)を差し引いたものである。

なお、(イ)のうち一〇〇万七三九八円を超える部分、(ウ)及び(エ)の各全額並びに(オ)の既経過利息のうち一〇三万九五五〇円を超える部分についての原告の自白の撤回(後記四4(一))については異議がある。右自白に係るものの原資が訴外金松の遺産ではない原告及びその家族名義の定期預金及び貸付信託であるとの原告主張事実(後記四4(一)、2(一)(1))は否認する。

(ア) 昭和四八年二月二八日以前 一一七四万八八七一円

(イ) 同年五月三〇日 一〇〇〇万円

(ウ) 同年一〇月三一日 四八〇万円

(エ) 同年一一月三〇日 四八七万八三四二円

(オ) 右(ア)ないし(エ)記載の各貸付金の既経過利息 一七八万九〇〇三円

(カ) 返済額 八万七三九〇円

(2) 原告未申告分 三二七八万九八〇九円

原告が、相続税の申告に当たり相続財産として申告していない貸主名義を原告とするもので、次の(ア)ないし(セ)のとおりである。

なお、(ウ)のうち五〇万円を超える部分及び(セ)の既経過利息のうち右に対応する二万〇八二一円を超える部分についての原告の自白の撤回(後記四4(二)(1))については異議がある。右自白に係るものの原資が訴外金松の遺産ではない原告の妻関ヨシ子(以下「訴外ヨシ子」という。)の収入を原資とする預貯金であるとの原告主張事実(後記四4(二)(1))は否認する。

(ア) 昭和四八年五月七日貸付 五〇〇万円

(イ) 同月三〇日貸付 二四〇万円

(ウ) 同年九月五日貸付 一〇〇万円

(エ) 同月一九日貸付 一六九万九一〇一円

(オ) 同月二〇日貸付 二〇〇万円

(カ) 同月二七日貸付 一〇〇万円

(キ) 同月二八日貸付 四〇〇万円

(ク) 同月二九日貸付 五〇〇万円

(ケ) 同年一一月一〇日貸付 一九〇万円

(コ) 同年一二月一四日貸付 二〇〇万円

(サ) 同月二五日貸付 二八〇万円

(シ) 昭和四九年二月二五日貸付 一八〇万円

(ス) 同月二八日貸付 一〇〇万円

(セ) 右(ア)ないし(ス)記載の各貸付金の既経過利息 一一九万〇七〇八円

右既経過利息の内訳は、次のとおりである。なお、日数は、貸付日から本件相続の日までであり、利率はいずれも年八パーセントである。

符号  日数  既経過利息

(ア)   三一一 三四万〇八二一円

(イ)   二八八 一五万一四九五円

(ウ)   一九〇 四万一六四三円

(エ)   一七六 六万五五四三円

(オ)   一七五 七万六七一二円

(カ)   一六八 三万六八二一円

(キ)   一六七 一四万六四一〇円

(ク)   一六六 一八万一九一七円

(ケ)   一二四 五万一六三八円

(コ)    九〇 三万九四五二円

(サ)    七九 四万八四八二円

(シ)    一七 六七〇六円

(ス)    一四 三〇六八円

(ソ) 右(ア)ないし(シ)の各貸付金は、次のとおりすべて訴外金松の遺産である。

(a) 右(ア)、(イ)、(オ)、(カ)、(ク)ないし(コ)記載の各貸付金の原資は、別表四記載の定期預金の解約金又は貸付信託の売却代金、元本払戻金若しくは収益配当金であるが、これらの定期預金解約計算書及び貸付信託売渡代金計算書等は、本件書類等の中にあつたから、右各貸付金はいずれも訴外金松の遺産である。

(b) 右(キ)記載の貸付金の原資は、別表四9記載のとおり定期預金の解約金と前記(四)(2)記載の住友銀行虎ノ門支店の定期預金一〇口の書換前の預金の利息からなるものであるが、右定期預金解約計算書は、本件書類等の中に存在したものであり、右定期預金が訴外金松のものであることは前記(四)(2)(セ)記載のとおりであるから、右貸付金は訴外金松の遺産である。

(c) 右(サ)及び(シ)記載の貸付金の原資の一部は、別表四16、17記載のとおりであるところ、これらの定期預金解約計算書は本件書類等の中に存在しているが、その余の原資は判明していない。

しかし、同一名義の同一日の貸付金は同一人に帰属するものと考えられるから、原資の一部が訴外金松のものである以上、その余が不明であつても、全体として訴外金松の遺産と認めるのが相当である。

(d) 仮に、後記四4(三)のとおり、右貸付金の原資である定期預金のうち一五〇〇万円に対応する分について、原告が訴外金松から贈与されているとしても、右贈与は書面によらない贈与であるから、その贈与の時期はその履行の終わつた時と解すべきところ、右贈与の履行時期は、貸付の時であつて、昭和四八年五月三〇日以降である。そうすると、右贈与は、本件相続開始の日から前三年以内の贈与として、相続税法一九条により、相続税の計算上課税価格に加算されることになるから、相続財産たる右貸付金から右一五〇〇万円を原資とするものに相当する価額を控除するのは相当ではない。

(七) 現金 四〇万円

(八) 家庭用財産及びその他の財産 五〇万円

(九) 所有権移転請求権等 二四一六万八〇三八円

(1) 訴外金松は、昭和三六年六月九日千葉県市川市鬼高四丁目三四六番田一〇二四平方メートル(以下「本件農地」という。)を訴外田島忠一から代金四〇〇万円で買い受けて、同日訴外金松名義で農地法に基づく知事の許可を停止条件とする所有権移転の仮登記がされている。

(2) 本件農地の所有権の移転のためには、農地法所定の許可が必要であるが、本件相続開始までに右許可はなかつたから、本件農地の所有権は訴外金松に移転していなかつた。

しかしながら、農地法所定の許可が効力発生要件とされているのは所有権移転という物権変動に関してだけであつて、右許可を経ていない段階においても、債権債務を発生させる契約の効力は、契約成立と同時に発生するものである。

そして、農地の売買契約の成立と同時に、買主は売主に対し、所有権移転許可申請協力請求権、所有権移転登記手続請求権等(以下「所有権移転請求権等」という。)を取得するもので、所有権移転請求権等には当然財産的価値があるところ、訴外金松は右田島に対して所有権移転請求権等を有していたから、原告、訴外千枝子及び訴外洋子は本件農地についての所有権移転請求権等を相続したものである。

(3) 農地法による知事の許可を得ていない農地の売買においても、通常所有権移転登記手続きまでを含めて契約するから、農地の所有権移転請求権等の価額は、当該農地の取引価格と同じとみるべきである。したがつて、本件農地に係る所有権移転請求権等の価額は、本件農地の価額により評価するのが相当である。

(4) 「相続税財産評価に関する基本通達」(昭和三九年四月二五日付け国税庁長官通達直資五六、直審(資)一七)により本件農地の価額を計算すると、二四一六万八〇三八万円となる。

(一〇) 未収家賃及び未収配当金 一五三万六五〇〇円

(一一) 債務及び葬式費用 七六四万九五八三円

(1) 債務 五九五万一八九三円

(2) 葬式費用 一六九万七六九〇円

(一二) 右(一)ないし(一〇)の積極財産の合計額三億六五一七万六六三一円から(一一)の消極財産の七六四万九五八三円を控除した三億五七五二万七〇四八円が、相続財産の総額(相続税の課税価格の総額)である。

2  原告の相続税の課税価格 一億九四〇三万〇五七〇円

(一) 土地 六四四四万三二〇七円

(1) 明舟町の土地 三四二七万三〇九〇円

原告は、昭和五〇年三月七日に成立した相続財産の一部分割の調停により、明舟町の土地(右1(一)(1))のうち、被相続人の自用地であつた別紙図面の「駐車場」部分(以下「自用地部分」という。)361.70平方メートル及び原告が被相続人から借り受けていた同図面の「関英夫所有建物敷地」部分(以下「借用地部分」という。)207.98平方メートルのうち25.23平方メートルについて各二分の一の共有持分を取得した。その価格は次のとおり三四二七万三〇九〇円である。

(ア) 右のうち、自用地部分は、本件相続当時、その価格は六七六三万七九〇〇円であつたから、原告の共有持分の価格はその二分の一の三三八一万八九五〇円である。

(イ) 借用地部分は、原告が昭和二五年七月ころから同人所有の建物の敷地として、訴外金松から無償で借りて使用していたが、従前、被告において右使用貸借がなされた時に借地権相当額について贈与税の課税がされたものとして取り扱つていたから、相続財産の評価としては相続人らに有利に原告が賃借している土地として評価すべきで、その価格は七四八万七二八〇円である。そうすると、借用地部分についての原告の共有持分の価格は四五万四一四〇円である(7,487,280÷207.98×25.23÷2=454,140)。

(2) 西新橋一丁目の土地 二七六二万五六〇一円

右土地は既に遺産分割がされ、原告は三分の一の共有持分を取得したので、その価額の三分の一に相当する額である。

(3) 西新橋三丁目の土地の三分の一の共有持分 二五四万四五六一円

(ア) 右額は、右共有持分の価額の三分の二に相当する額である。

(イ) 右土地は未分割遺産であるが、東京地方裁判所昭和五〇年(ヨ)第二〇四二号事件において、原告と訴外洋子との間に、昭和五二年一月一一日次の条項を骨子とする裁判上の和解(以下「本件和解」という。)が成立した。

(a) 訴外洋子は、訴外金松の遺産の一部分割調停により既に取得した明舟町の土地のうちの借用地部分中182.75平方メートル及び西新橋一丁目の土地及び建物の共有持分各三分の一を除き、訴外金松の遺産並びに昭和四五年一一月九日に死亡した、原告、訴外千枝子及び訴外洋子の母である訴外関ふじ(以下「訴外ふじ」という。)の遺産に対する相続分を原告に譲渡する。

(b) 訴外金松及び訴外ふじの遺産のうち、訴外洋子が負担すべき債務及び葬式費用は原告が負担する。

(c) 訴外洋子は、原告に対し、その所有する訴外会社の株式四万二九〇〇株を譲渡する。

(d) 原告は、訴外洋子に対し、和解金として二九〇万円を支払う。

(e) 港区麻布台一丁目二三番七宅地95.83平方メートル及び同地上の建物(その価格合計一〇七二万三八七九円。以下併せて「麻布台の土地及び建物」という。)が、訴外ふじから訴外洋子に生前贈与されたものであることを確認する。

(ウ) 本件和解は、原告及び訴外千枝子と訴外洋子との間において生じていた訴外金松及び訴外ふじの各遺産の分割をめぐる紛争を解決することを目的として成立したものであるが、訴外千枝子は、本件和解成立後これを認識しながら、何らの異議も述べず、かつ、当時東京家庭裁判所で行われていた訴外金松及び訴外ふじの各遺産分割の調停事件において、原告代理人である黒澤辰三弁護士の提示した遺産分割案中の本件和解の内容にそつた訴外洋子の取得分についての記載にも何らの異議を述べなかつたから、本件和解について、その成立後間もなく黙示の合意をしたものと認められる。

そうすると、本件和解の性格は、民法九〇五条の「相続分の譲渡」ではなく、原告及び訴外千枝子と同洋子との間の、訴外金松及び訴外ふじの各遺産の一部分割(代償分割)とみるべきであり、それは、本件和解成立後間もなく、全相続人の合意により、成立したものである。

(エ) 本件和解によつて、訴外洋子が本件相続により取得する財産並びに負担すべき債務及び葬式費用が確定した(訴外洋子は、本件相続に関し、遺産の一部分割調停によつて取得した明舟町の土地の一部及び西新橋一丁目の土地及び建物の持分並びに残りの相続分の譲渡の対価として原告から得た代償のみを取得し、なお、債務及び葬式費用は一切負担しないことが確定した。)。他方、原告は本件和解によつて、訴外金松の未分割遺産については、自己本来の相続分に訴外洋子の相続分を加えた権利を確定的に有することになつた。

(オ) 相続税法五五条は、遺産の全部又は一部が未分割の場合には、その未分割遺産については、各共同相続人が民法(九〇四条の二を除く。)の規定による相続分の分割に従つて取得したものとして各人の相続税の課税価格を計算することとしている。

しかし、同法は、各相続人にその取得財産価額に応じた税額を負担させることを原則としている(同法一一条の二、三二条、三五条三項等)のであるから、前記のとおり既に取得した相続財産の価額が確定した訴外洋子に対しては、その取得価額に対応した課税がされるべきであつて、遺産が完全に分割されていないからといつて、未分割遺産について何らの権利を有しない訴外洋子に対し、その法定相続分に応じた課税をすることは、法の趣旨に反するものである。

他方、原告は、本件和解によつて未分割遺産について訴外洋子の相続分も取得したのであるから、原告に対し、未分割遺産についての相続分を、原告本来の相続分に譲り受けた訴外洋子の相続分を加えたものとして課税することは、別段不合理なことではない。

したがつて、未分割遺産についての原告の相続分は、原告本来の相続分三分の一に譲り受けた訴外洋子の相続分三分の一を加えた三分の二として、課税価格を計算するのが相当である。

(二) 建物 二五万六七八二円

(1) 西新橋一丁目の建物 一二万九八二七円

右建物は既に遺産分割がされ、原告は三分の一の共有持分を取得したので、その価額の三分の一に相当する額である。

(2) 西新橋三丁目の建物の三分の一の共有持分 一二万六九五五円

右共有持分は未分割であるので、本件和解に基づき、原告の相続分を三分の二として計算した額である。

(三) 土地及び建物以外の積極財産

一億三五一八万五三〇四円

土地及び建物以外の積極財産はいずれも未分割であるので、本件和解に基づき、原告の相続分を三分の二として計算した額であり、内訳は次のとおりである。

なお、相続財産の総額についての預金及び貸付金並びにその既経過利息の自白の撤回にともなう原告の相続分についての自白の撤回(後記四11(二)、(四))については異議がある。

(1) 前記1(三)記載の株式 三三九二万五七三三円

(2) 同(四)記載の預金 三八九三万九〇三七円

(3) 同(五)記載の貸付信託受益証券 六三万八四一九円

(4) 同(六)記載の貸付金 四一九五万九二八三円及び既経過利息 一九八万六四七四円 計四三九四万五七五七円

(5) 同(七)記載の現金 二六万六六六七円

(6) 同(八)記載の家庭用財産及びその他の財産 三三万三三三三円

(7) 同(九)記載の所有権移転請求権等

一六一一万二〇二五円

(8) 同(一〇)記載の未収家賃及び未収配当金 一〇二万四三三三円

(四) 遺産分割による負担金 七五万五〇〇〇円

本件和解において、原告が訴外洋子に対し支払つた和解金二九〇万円から、原告が訴外洋子から取得した訴外会社の株式四万二九〇〇株の価格相当額である二一四万五〇〇〇円を控除した額であつて、本件相続における相続分譲渡の代償たる負担金である。

(五) 債務及び葬式費用 五〇九万九七二三円

(1) 債務 三九六万七九二九円

(2) 葬式費用 一一三万一七九四円

本件和解に基づき、原告が訴外洋子の負担する債務及び葬式費用についても負担することとなつたので、前記1(一一)記載の額の三分の二に相当する額が原告の負担分である。

(六) 原告の課税価格は、右(一)ないし(三)記載の合計額一億九九八八万五二九三円から、右(四)及び(五)の合計額五八五万四七二三円を控除した一億九四〇三万〇五七〇円である。

3  本件更正処分の適法性

(一) 以上によれば、本件相続に係る相続税の原告の課税価格は一億九四〇三万円(ただし、国税通則法一一八条により一〇〇〇円未満切り捨て後のもの。)、原告の納付すべき相続税額は九八〇五万八九〇〇円(計算は別表五記載のとおりである。)であり、本件更正処分における原告の課税価格一億七八九六万円、相続税額八八六五万二八〇〇円をいずれも上回るから、本件更正処分は適法である。

(二) 仮に、遺産の一部が既に分割済みである場合における未分割遺産の課税価格の計算についての前記2(一)(3)(オ)記載の方法(原告の相続分を三分の二として計算する方法)が相続税法五五条の解釈として誤りで、遺産の総額に各人の相続分を乗じて計算した価格から既に分割により取得した財産の価格を控除した残額によるという方法に従うべきであるとしても、本件和解前の訴外洋子の未分割遺産に対する具体的相続分を計算すると、積極財産に関しては、別表六及び七記載のとおり、八七三九万一一一八円(積極財産の相続分である相続財産のうち積極財産の三分の一に当たる一億二一七二万五五四四円から分割財産の価額三四三三万四四二六円を控除した額)で、これに原告の本来有している具体的相続分の価額一億二一七二万五五四四円を加えると合計二億〇九一一万六六六二円となり、これから消極財産に関する訴外洋子及び原告の相続分五〇九万九七二三円(消極財産はすべて未分割なので、その三分の二に当たる額)を控除した二億〇四〇一万六九三九円が原告の課税価格となるが、この額は、右一記載の額を更に上回るから、本件更正処分はやはり適法である。

(三) 仮に、本件和解が遺産の一部分割に当たらないとしても、訴外金松の遺産については、昭和五三年二月二四日に成立した調停でその全部につき分割がされた。右調停により原告が取得した遺産の価格は別表八の「原告の相続分」欄記載のとおり二億五六四〇万一八九六円となつた。

未分割遺産に対する相続税の課税は、遺産が分割されるまでの暫定的措置であるとともに、遺産分割の引き延ばしによる課税の不公平を防止するための措置であるが、右調停の成立により遺産は終局的に各相続人に帰属し、課税要件を充足したのであるから、本件更正処分が右確定した課税要件に基づき計算した額の範囲内にある限り、本件更正処分の瑕疵は治癒されると解すべきところ、本件更正処分における課税価格は右二億五六四〇万一八九六円の範囲内にあるから、本件更正処分の瑕疵は治癒された。

4  本件決定処分の適法性

別表五、九、一〇記載のとおり、過少申告について正当な理由がない財産の価額に見合う、原告の新たに納付すべき税額は四一六一万一〇〇〇円であり、右金額に対する過少申告加算税は二〇八万〇五〇〇円となるところ、本件決定処分による過少申告加算税額は一六三万六〇〇〇円で、右金額の範囲内であるから、本件決定処分は適法である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)ないし(三)(土地、建物及び株式)の各事実は認める。

2  同1(四)(預金)について

各預金及びその既経過利息の存在並びにその額は認めるが、その帰属については次のとおり争う。

(一) (1)(港信用金庫芝支店)について

(1) (ア)のうち三〇万円及び(カ)のうちこれに対応する既経過利息二九九六円が訴外金松の遺産であることは認め、(ア)のうち三〇万円を超える部分及び(イ)ないし(オ)の各金額並びに(カ)の既経過利息のうち二九九六円を超える部分が訴外金松の遺産であることは否認する。

なお、原告は当初(ア)の五四〇万円全額及び(カ)の既経過利息のうちこれに対応する一万七九七五円について訴外金松の遺産と認める旨自白していたが、(ア)のうち三〇万円を超える部分及び(カ)の既経過利息のうち二九九六円を超える部分についての自白は、事実に反し、錯誤に出たものであるから、これを撤回する。右はいずれも、別表一三甲欄記載の、訴外金松の遺産ではない原告及びその家族名義の定期預金、貸付信託等を原資とするものであるが、その原資となつた原告及びその家族の収入によるその名義の預貯金の通帳が、原告が昭和五〇年八月一〇日に明舟町の土地所在の自宅を取り壊し、その後信濃町の借家に移転し、昭和五五年三月自宅を建築して再度移転したことにより、これらが散逸し、その発見が遅れたためで、自白の撤回にはやむをえない事情がある。

(2) (キ)について

本件メモは原告が訴外金松の遺産を記載したものであること、原告が本件書類等につきこれを訴外金松の遺産に関するものであると申述したこと、無記名式貸付信託二一口が訴外金松に帰属していたこと、(ア)のうち三〇万円を超える部分が訴外金松の遺産であることはいずれも否認し、その余の事実は認める。被告主張の事実は、右無記名式貸付信託が訴外金松の遺産であることの根拠とはならない。

本件メモの記載は、関家の資産状態を記載したものであり、このことは本件メモには、訴外金松の遺産ではない原告所有の麻布台の土地及び建物並びに訴外ふじの遺産である愛宕町の土地、建物が記載されていることからも、明らかである。

(二) (2)(住友銀行虎ノ門支店)について

(1) (ア)ないし(ス)記載の各預金及び(セ)の既経過利息の全部につき、それらが訴外金松の遺産であることは否認する。

(2) (セ)について

被告主張の念書の提出が訴外金松によりされたことは否認し、その余の事実は認める。右念書に署名押印して差し入れたのは原告であり、たまたま借主が訴外会社であり、訴外金松が社長であつたため、右念書に「代表取締役関金松」と署名したに過ぎない。また、右念書は「後日如何なる事故が起きましても私に於て責任を負い貴行にいささかも御迷惑御損害をおかけしません」という記載に意味のある文書であつて、預金の正当な権利者が誰であるかを決定することに意味のある文書ではない。

(三) (3)(日本信託銀行新橋支店)について

(ア)ないし(エ)記載の各預金及び既経過利息の全部につき、それらが訴外金松の遺産であることは否認する。

(オ)のうち、右各預金の届出印鑑が、本件書類等の中に存在していたことは認めるが、このことは、右各預金及び既経過利息が訴外金松の遺産であることの根拠とはならない。

(四) (4)(富士銀行中野支店)について

(ア)ないし(ケ)記載の各預金及び既経過利息の全部につき、それらが訴外金松の遺産であることは否認する。

(コ)のうち、本件書類等の中に、右各預金の利息計算書が存在していた事実は認めるが、このことは、右各預金及び既経過利息が訴外金松の遺産であることの根拠とはならない。

(五) (5)ないし(7)(東海銀行虎ノ門支店、第一勧業銀行日比谷支店及び安田信託銀行虎ノ門支店)について

(5)ないし(7)記載の各預金の全部につき、それらが訴外金松の遺産であることを認める。

3  同1(五)(貸付信託受益証券)について

(一) (1)ないし(4)記載の各貸付信託受益証券の存在及びその価額は認めるが、その全部につき、それらが訴外金松の遺産であることは否認する。

(二) (5)の事実は認めるが、被告主張の事実は、右貸付信託が訴外金松の遺産であることの根拠とはならない。なお、右貸付信託を管理していたのは、原告の妻訴外ヨシ子である。

4  同1(六)(貸付金及びその既経過利息)について

貸付金及びその既経過利息の存在並びにその額((2)(セ)の内訳も含む。)は認めるが、その帰属については次のとおり争う。

(一) (1)(原告申告分)について

(ア)の全額並びに(イ)のうち一〇〇万七三九八円及び(オ)の既経過利息のうち一〇三万九五五〇円が訴外金松の遺産であることは認め、その余は否認する。

なお、原告は当初原告の申告分全額が訴外金松の遺産と認めていたが、右に認めるとした部分を超える部分は事実に反し、錯誤に出たものであるから、これを撤回する。その原資及び自白に至つた事情は前記2(一)(1)記載のとおりである。

(二) (2)(原告未申告分)について

(1) (ウ)のうち五〇万円、(エ)の全額、(ク)のうち五〇万円、(コ)のうち一〇二万二九三八円、(サ)のうち六八万円、(ス)の全額及び(セ)の既経過利息のうち一三万九五七六円((ウ)のうち五〇万円に対応する二万〇八二一円、(エ)に対応する六万五五四三円、(ク)のうち五〇万円に対応する一万八一九二円、(コ)のうち一〇二万二九三八円に対応する二万〇一七八円、(サ)のうち六八万円に対応する一万一七七四円、(ス)に対応する三〇六八円の合計)が訴外金松の遺産であることは認め、その余は否認する。

なお、原告は当初(ウ)の全額及び(セ)の既経過利息のうち右に対応する四万一六四三円が訴外金松の遺産と認めていたが、(ウ)のうち五〇万円を超える部分及び(セ)の既経過利息のうちそれに対応する二万〇八二一円を超える部分は事実に反し、錯誤に出たものであるから、これを撤回する。その原資は原告の妻訴外ヨシ子の収入を原資とする預貯金であり、自白に至つた事情は前記2(一)(1)記載のとおりである。

(2) (ソ)(a)ないし(c)のうち、各貸付金の原資が別表四記載のとおりであることは認め、(d)は争う。

(三) 仮に、右(二)(1)の主張が認められないとしても、原告は、後記五1(二)記載のとおり、貸付金の原資となつた裏預金のうち一五〇〇万円について訴外金松から贈与を受けており、右贈与を受けた裏預金に対応する仮名の定期預金及び無記名の貸付信託並びにこれらの利息及び収益配当金を原資とする貸付金は次のとおりであるから、右貸付金の元金相当分一五五一万九一七九円及びその既経過利息八〇万四五二〇円については訴外金松の遺産から差し引くべきである。

(1) 抗弁1(六)(1)(イ)の原資のうち、別表四2貸付金の原資欄記載の大崎四郎名義の定期預金(元金三〇〇万円)の解約金三〇四万八八二二円及び鶴見吉雄名義の定期預金(元金二〇〇万円)の解約金二〇三万二五四八円合計五〇八万一三七〇円並びに右金員に対応する既経過利息三二万〇七五三円。

(2) 同(ウ)の原資である別表四11貸付金の原資欄記載の無記名式貸付信託(元本四五〇万円)の元本払戻金四五〇万円、収益配当金三六万一〇三六円及び期日後収益配当金一万六六四五円合計四八七万七六八一円並びに右貸付金の既経過利息一四万〇九七五円。

(3) 同(2)(ア)の原資である別表四1貸付金の原資欄記載の栗田孝雄名義の定期預金(元金五〇〇万円)の解約金五〇三万一二〇七円及び右貸付金の既経過利息三四万〇八二一円。

(4) 同(シ)の原資のうち、別表四17貸付金の原資欄記載の広瀬洋介名義の定期預金(元金五〇万円)の解約金五二万八九二一円及び金員に対応する既経過利息一九七一円。

5  同1(七)、(八)(現金並びに家庭用財産及びその他の財産)の各事実は認める。

6  同1(九)(所有権移転請求権等)について

(一) (1)は認める。

(二) (2)、(3)は争う。

本件農地は、昭和三六年四月一日訴外片山太郎吉から訴外田島忠一に、同年六月九日右田島から訴外金松に売買され、登記簿上の所有名義が右片山のまま訴外金松名義で所有移転の仮登記がなされているが、本件相続まで、その登記簿上の地目は「田」であり、現実に右片山ないし右片山死亡後はその相続人である訴外片山ことが耕作していた現況農地であつたから、右片山太郎吉と右田島との間及び右田島と訴外金松との間の本件農地の売買契約は、農地法所定の知事の許可を得なければ、法律上の効力を生じないことはいうまでもない。そして、本件相続当時、右田島と訴外金松間の売買契約につき農地法所定の知事の許可は得られていないから、本件農地の所有権は訴外金松に移転していなかつた。

農地の所有権移転を目的とする法律行為は、農地法所定の許可を受けない限り、法律上の効力は生ぜず、したがつて、農地の売買契約は、右許可のない限り、契約としての効力が生じないから、それにより、債権的であれ、物権的であれ、権利、義務の発生する余地はない。

農地法所定の知事の許可を得る前の農地の売買契約に基づく買主の売主に対する権利は、農地法所定の許可申請手続きをすべき作為を求める権利すなわち所有権移転許可申請協力請求権及び許可が得られないことが確定した場合の不当利得返還請求権であり、目的物の引渡しを求める権利も登記義務の履行を求める権利も発生しない。このことは、売買契約に基づき所有権移転の仮登記がされている場合でも同じである。

しかして、知事の許可を得る前の農地売買契約上の買主の権利のうち、売主に対し作為を求める権利については財産法上の評価はできないから、右買主の権利を評価するには、不当利得返還請求権としての評価しかできない。

したがつて、既に支払い済みの代金四〇〇万円が、仮払金として訴外金松の遺産となる。

(三) (4)について

「相続税財産評価に関する基本通達」による本件農地の評価額が、二四一六万八〇三八円であることは認める。

右田島が本件農地を買い受けてから本件相続まで一二年一一ケ月以上経過しており、当時の所有者である右片山ことから消滅時効を援用されるおそれがあつた。また、訴外金松が本件農地の売買契約を締結した当時の事情から、右片山ことから多額のはんこ代を要求されるおそれもあり、現実に、本件農地の仮登記上の権利を相続した原告が、その権利を昭和五五年一月訴外ユニデン株式会社に譲渡した際には、右片山ことから、右ユニデン株式会社に所有権移転登記をするにつき、五〇〇万円(内四〇〇万円については、裏金とされた。)も要求され、原告は時効の援用を憂慮して、やむなくこれを支払つている。

本件相続当時、本件農地は、右のとおり、いわゆる「いわく付き」の土地であつたから、客観的な交換価値のある土地とはいえず、被告主張の二四一六万八〇三八円の交換価値はとてもなかつた。仮に、右同額の交換価値があつたとしても、右五〇〇万円のはんこ代を支払わなければならない事情があつたから、右額を控除すべきである。

7  同1(一〇)(未収家賃及び未収配当金)及び(一一)(債務及び葬式費用)の事実は認める。

8  同1(三)は争う。

9  同2(一)(土地)について

(一) (1)(明舟町の土地)のうち、原告が、違産の一部分割の調停により取得した部分は認めるが、その額は争う。

(1) 相続税の財産評価上、自用地部分は自用地として、借用地部分は原告が賃借している土地として評価すべきこと、自用地部分及び借用地部分の各価格が(1)(ア)及び(イ)記載のとおりであることは認める。

(2) 右調停の条項では、訴外洋子が取得する借用地部分のうちの182.75平方メートルについて、原告は、その上に築造されている自己所有の建物を、昭和五〇年八月一〇日限り収去して、更地として引き渡すべきことが定められ、原告は、その約定のとおり右土地を更地として訴外洋子に引き渡した。

(3) したがつて、訴外洋子が右調停により取得した土地は、原告が賃借している土地ではなく、何らの負担、制限のない更地であるから、その平均価値は、原告が取得した土地と同じでなくてはならない。

また、原告の取得した土地も、訴外洋子の取得した土地も全く同一価格で売却処分できるのであるから、訴外洋子の取得した財産の評価額が原告のそれより八〇パーセントも低いというのでは、税負担の公平を欠くこと著しいというべきである。

(4) 原告は、明舟町の土地569.68平方メートルのうち、386.93平方メートルにつき二分の一の共有持分を取得したので、その取得割合は33.96パーセントとなるから、右土地についての原告の課税価格は明舟町の土地全体の価格七五一二万五一八〇円に右割合を乗じた二五五一万二五一一円とすべきである。

(5) なお、相続税の取扱上、ある場合には借地権が存在するものとし、ある場合にはその存在を認めないということは許されるべきではないから、訴外洋子の取得した土地を、原告が賃借している土地としてその評価をするというのであれば、他の関係でも原告が右土地につき借地権を有するものとして取り扱うべきである。そうすると、原告は、右土地上の自己所有の建物を収去して、右土地を更地として訴外洋子に引き渡しているから、原告の課税標準を定めるに当たつては、右土地の借地権価格に相当する額を、遺産分割による負担金として控除するのが相当である。

(二) (2)(西新橋一丁目の土地)の事実は認める。

(三) (3)(西新橋三丁目の土地)について

右土地の三分の一の共有持分の価額の三分の一に当たる一二七万二二五八円が原告の相続分であることは認め、その余は否認する。

(1) (イ)の事実は認める。

(2) (ウ)のうち、訴外千枝子が本件和解成立後これを認識しながら何らの異議も述べなかつたことは認める。

本件和解は、訴外千枝子の権利関係に全く影響を及ぼさないものであるから、訴外千枝子はそれに関心がなく、同人が何ら異議を述べなかつたとしても、本件和解に同意したとはいえない。

(3) (エ)及び(オ)は争う。

(ア) 相続分の譲渡と遺産分割とは全く別個の法的性質のものであるところ、相続税法五五条は、未分割遺産に課税するについては、各共同相続人が民法の規定による相続分の割合に従つて「当該財産を取得したものとして」その価格を計算することとし、その後に遺産の分割が行われた場合には、更正の請求又は更正若しくは決定ができると定め、相続分の譲渡の場合には更正の請求等ができるとは定めていないから、相続税法上、相続分の譲渡をもつて遺産の分割とみることはできない。

したがつて、相続分の譲渡があつても、遺産がなお未分割である以上それについては、民法の規定による相続分の割合に従つて各人の課税価格を計算すべきである。

(イ) 被告の主張に従えば、相続人以外の第三者に相続分を譲渡した場合、当該相続人が相続税の申告をしない場合には相続税が課税できないことになるが、他方譲り受けた第三者は相続税の納税義務者ではないのに課税しなければならなくなり、不合理である。

(ウ) また、遺産について一部分割されると、各共同相続人の未分割遺産に対する相続分の割合は、当初の相続分の割合と異なり得るものである。したがつて、遺産の一部分割がされている本件の場合に、原告が本件和解により譲渡を受けた訴外洋子の相続分の割合を、これまでの遺産分割の状況と無関係に、当初の三分の一であるとする被告の見解は明らかに誤りであり、右相続分の割合は、遺産の一部分割を考慮し、具体的に算定すべきものである。そうでないと、未分割遺産に対し権利として主張できる相続分の割合と相続税の負担割合とが異なるという不合理な結果が生ずるといわなくてはならない。

(エ) ところで、本件和解当時、訴外金松の遺産について一部分割があつたことを考慮し、訴外洋子の未分割遺産に対する具体的相続分の割合を算定すると、別表一一未分割遺産に対する割合欄記載のとおり21.3366パーセントであり、三分の一に満たない。

10  同2(二)(建物)について、(1)の事実は認め、(2)のうち西新橋三丁目の建物の三分の一の共有持分の価額の三分の一に当たる六万三四七八円は認め、その余は否認する。

11  同2(三)(土地及び建物以外の積極財産)について

(一) (1)(株式)の事実のうち、価額の三分の一にあたる一六九六万二八六七円は認め、その余は否認する。

(二) (2)(預金)のうち、右2で認めた価額三二七万四六六二円の三分の一にあたる一〇九万一五五四円は認め、その余は否認する。

なお、原告は、当初原告の相続分として二七九万六五四七円を認めていたが、右2(一)(1)記載の自白の撤回に伴い、右一〇九万一五五四円を超える部分の自白を撤回する。

(三) (3)(貸付信託受益証券)の事実は否認する。

(四) (4)(貸付金及びその既経過利息)のうち、貸付金について右4で認めた価額一八〇七万〇九一八円の三分の一に当たる六〇二万三六三九円、既経過利息についてそれに対応して右4で認めた価額一一七万九一二六円の三分の一に当たる三九万三〇四二円は認め、その余は否認する。

なお、原告は、当初右のほかに、原告の相続分として貸付金について六三九万〇三一五円(右4の自白撤回分と自白維持分との差額一九一七万〇九四四円の三分の一)、既経過利息について二五万六七五八円(右同様の七七万〇二七四円の三分の一)を認めていたが右4(一)、(二)(1)の自白の撤回に伴い、右価額についての自白を撤回する。

(五) (5)(現金)の事実のうち、価額の三分の一に当たる一三万三三三三円は認め、その余は否認する。

(六) (6)(家庭用財産及びその他の財産)の事実のうち、価額の三分の一に当たる一六万六六六六円は認め、その余は否認する。

(七) (7)(所有権移転請求権等)の事実のうち、仮払金四〇〇万円の三分の一に当たる一三三万三三三三円は認め、その余は否認する。

(八) (8)(未収家賃及び未収配当金)の事実のうち、価額の三分の一に当たる五一万二一六七円は認め、その余は否認する。

12  同2(四)(遺産分割による負担金)は認める。

なお、本件和解が訴外金松の遺産の一部分割であるならば、右金員に加えて、本件和解により原告が訴外洋子にその所有権を譲渡した麻布台の土地及び建物の価額一〇七二万三八七九円も、遺産分割の負担金に加算すべきである。

13  同2(五)(債務及び葬式費用)の事実のうち、価額の三分の一に当たる二五四万九八六一円は認め、その余は否認する。

14  同3は争う。

(三)の主張について  本件処分は、その当時、課税要件が存在していないにも拘わらずされた、法律上の根拠を欠くものであり、この瑕疵は後に発生した事実によつて治癒されるものではない。また、被告の主張のように解すると、原告は、法律で与えられている異議申立て、審査請求等の救済権を事実上奪われることになり、不当である。

15  同4は争う。

五  原告の反論

1  中古工作機械取引による裏預金

(一) 別表一二甲欄記載の定期預金及び貸付信託は、いばれも昭和三七年以前に設定されたもの(又はそれを原資として設定されたもの)であるが、これらは、同表記載のとおり、抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(ア)ないし(コ)の各定期預金の原資の全部(別表三参照)、同(3)(日本信託銀行新橋支店)(ア)ないし(ウ)及び(4)(富士銀行中野支店)(ア)ないし(ク)記載の各定期預金そのもの、同(1)(港信用金庫芝支店)(ア)ないし(オ)記載の各定期預金の原資の一部並びに同(六)(貸付金)(1)(原告申告分)(ウ)、(エ)及び(2)(原告未申告分)(ア)記載の各貸付金の原資の全部、同(1)(イ)、(2)(イ)及び(シ)記載の各貸付金の原資の一部である。

(二) 別表一二甲欄記載の定期預金及び貸付信託は、訴外ふじが、個人としてしていた中古工作機械の取引の利益を貯蓄したものを原資とするものである。右利益による貯蓄の額は、昭和三七年一一月当時九〇〇〇万円以上になつていたが、そのうちから、そのころ、訴外ふじが、原告及び訴外千枝子に各一五〇〇万円、訴外洋子に一〇〇〇万円を、更に、昭和四七年三月二三日原告が訴外洋子に五〇〇万円を贈与した。同表甲欄記載の定期預金及び貸付信託は、右贈与をした後の貯蓄状況を示すもので、右の約九〇〇〇万円から訴外千枝子及び訴外洋子への贈与分三〇〇〇万円を差引いた残りである(したがつて、原告への贈与分一五〇〇万円はそこに含まれている。)。

(三) 右中古工作機械の取引は、訴外ふじが、原告の協力のもとにしていたもので、訴外金松は全く関与していない。このことは、「裏預金」の設定、証書の書換等の諸手続きの一切を原告が行い、訴外金松は全く関与していないことからも、明らかである。

したがつて、右取引からの利益を原資とする「裏預金」は訴外金松の財産とはいえない。

(四) なお、訴外ふじは、昭和三七年一一月、原告らに合計四〇〇〇万円を贈与した後は、一時期を除いて、「裏預金」の管理を原告に委ねていたが、「裏預金」は訴外ふじが訴外会社の「事業にもしものことがあつた場合」に備えてしたものであること、その当時、原告が跡取りとして事実上の経営者であつたことから、右委託には、訴外ふじ死亡後は、「事業にもしものことがあつた場合」には、原告にその処分を委ねるという贈与の意思があつたものというべきである。

したがつて、別表一二甲欄記載の定期預金及び貸付信託は、昭和四五年一一月九日訴外ふじ死亡後は、原告の所有となつたものであり、訴外ふじの遺産として訴外金松が相続したということもない。

2  原告及び原告の家族名義の定期預金、貸付信託等

昭和四八年当時、別表一三甲欄記載のとおり、原告及び原告の家族名義の定期預金、貸付信託等が存在していたが、これらは、同別表記載のとおり、抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(サ)及び(シ)記載の各定期預金そのもの、同(五)(安田信託銀行虎ノ門支店)記載の貸付信託受益証券そのもの、同(1)(港信用金庫芝支店)(ア)ないし(オ)記載の各定期預金の原資の一部、同(六)(貸付金)(2)(原告未申告分)(ク)及び(ケ)記載の各貸付金の原資の全部並びに同(1)(原告申告分)(イ)、(2)(イ)、(オ)ないし(キ)及び(コ)ないし(シ)記載の各貸付金の原資の一部である。

同表のうち、番号17の貸付信託(元本五〇万円)の全部及び番号37の貸付信託(同八〇万円)のうちの三〇万円は、訴外金松の財産を原資としているが、その余のものは、昭和二九年から昭和三二年一二月二一日に原告が結婚するまでの間に訴外ふじが原告のためにしていた郵便貯金及び同日以降原告の妻である訴外ヨシ子が原告及び自分を含む原告の家族のためにしていた預貯金を原資とするもので、昭和四八年当時には、別表一三甲欄記載の定期預金、金銭信託及び貸付信託となつたものであるところ、その原資は、次のとおり、原告及び訴外ヨシ子の収入であるから、訴外金松の財産ではない。

(一) 原告の収入

原告は、昭和三二年四月、訴外会社に入社し、以後、専務取締役として同社の経営に当たつてきたが、その所得の主なものは同社からの給与、同社の株主としての配当金及び同社に対する貸付金の利息であり、昭和三三年以降の推定実質収入は別表一四関英夫欄記載のとおりである。

(二) 訴外ヨシ子の収入

(1) 持参金

訴外ヨシ子には、昭和三二年一二月の結婚に際して、持参金が一一万五〇〇〇円あつた。

(2) 訴外ふじからの手当

訴外ヨシ子が結婚した昭和三二年一二月当時から昭和三六年九月ころまで、訴外ヨシ子は訴外会社の工員の賄いに従事し、一〇日毎に一万円を訴外ふじから得ていた。

(3) 関ガレージからの収入

昭和四〇年ころ、明舟町の土地の一部を利用して、訴外金松名義の駐車場(以下「関ガレージ」という。)を設けたが、関ガレージの実質的経営者は訴外ヨシ子であり、訴外ヨシ子には給料を名目として、昭和四〇年は月額四万円、昭和四一年から昭和四三年は月額三万円、昭和四四、四五年は月額四万円、昭和四六年以降は月額五万円の収入があり、更に、関ガレージは月極めの駐車場であつたが、日曜祭日等には時間駐車も相当あり、その料金は訴外ヨシ子が臨時収入として取得していた。

(4) 下井草の土地の地代

訴外ヨシ子は、父である訴外黒沼萬助の遺産として杉並区下井草所在の宅地約二五〇坪の分割を受けたが、訴外ヨシ子は右土地を昭和四二年二月から昭和四五年一〇月まで、訴外芝萬興業株式会社に月額三万五〇〇〇円の地代で賃貸していた。

(5) 遺産分割金

訴外ヨシ子は、昭和四六年四月一五日、右黒沼萬助からの遺産として一五九万一六六六円を取得した。

(6) 阿佐谷駐車場からの収入

訴外ヨシ子は、昭和四五年一〇月、前記下井草の土地と交換で杉並区阿佐谷所在の宅地1015.57平方メートルを取得したが、右土地はそれ以前より芝萬駐車場の名称の駐車場であつた。右駐車場からの年収は約四〇〇万円であつた。

(7) 以上によれば、訴外ヨシ子の昭和三三年以降の実質収入は別表一四関ヨシ子欄記載のとおりとなる。

3  訴外金松の収入と訴外ふじの医療費

訴外金松の昭和四〇年以降の収入は、別表一四関金松欄記載のとおりである。

ところで、訴外ふじは、昭和三八年一一月中風に倒れ、昭和四五年一一月に死亡するまで、殆ど半身不随のまま療養生活を送つた。訴外ふじの医療費は、訴外金松が負担した。所得税の確定申告で申告した医療費の支払い額は、同別表支払医療費申告額欄記載のとおりであるが、実際の医療費はこれを超えていた。すなわち、

(一) 年に一、二回、各一ケ月位温泉に療養に行つた。

(二) 療養生活の間、二人の付添看護者(当初の一年間は二人とも正規の看護婦、その後は家政婦)が一日交替で完全看護していた。看護料は非番の日も支払い、食事も非番の日も含めて負担していた。

(三) 医師の往診を、発病後一年間位は毎日受け、その後は少なくとも週一回は受け、死亡する直前は一日おき位であつた。発病後三ケ月位は毎日一本五〇〇〇円位の注射を射つていた。

(四) 発病後三、四ケ月経たころから死亡するまで、マッサージを受けていた。その回数は、当初は一日おき位、状態のよい時は毎日、一週間に一、二回の時もあつたが、一ケ月間もしないということはなかつた。

(五) 食事は、白身の魚を主とした特別な病人食であつた。このように療養に、毎月三五万ないし三八万円、七年間で少なくとも三〇〇〇万円を要した。したがつて、この間、訴外金松の実質収入は、その殆どが訴外ふじの療養費に充てられていて、蓄財する余裕はなかつた。

六  原告の反論に対する認否及び被告の再反論

1  原告の反論1について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)のうち、訴外ふじが個人として中古工作機械の取引をしていたこと及びこれにより九〇〇〇万円もの利益を上げたことは否認し、訴外ふじが昭和三七年一一月ころ右九〇〇〇万円の内から原告及び訴外千枝子に各一五〇〇万円、訴外洋子に一〇〇〇万円を贈与したこと、原告が昭和四七年三月二三日訴外洋子に五〇〇万円を贈与したことは不知。

(三) 同(三)、(四)の事実は否認する。

(四) そもそも、原告は、訴状においては、中古工作機械の売買利益を蓄積したのは、昭和三五年以前と主張しながら、昭和五六年一二月一六日付け第三準備書面では昭和三五年から昭和三八年頃までの間に蓄積したと主張するなど、主張自体一貫性がないし、訴外ふじから贈与があつたとするならば、原告、訴外千枝子及び訴外洋子から贈与税の申告があつてしかるべきなのに申告はされていないこと、訴外ふじの遺産に係る相続税の申告にもそのような預金が申告されていないから、これを認めることはできない。

ところで、中古工作機械の売買取引は、誰でも簡単にできるものではなく、相当の資金を有し、機械の構造を熟知し、その良否を判断する能力を有する者でなければその主体となりえない。訴外金松は、その経歴から、機械について卓越した技能を有していたばかりか、経営者としても相当の手腕を有していたといえる。訴外ふじが取引の表面に立つていたとしても、それは訴外金松の妻という立場が前提であつて、中古工作機械の取引の主体は訴外金松というべきである。

2  同2のうち、抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(サ)及び(シ)記載の各定期預金そのもの、同(五)(安田信託銀行虎ノ門支店)記載の貸付信託受益証券そのもの、同(1)(港信用金庫芝支店)(ア)ないし(オ)記載の各定期預金の原資の一部、同(六)(貸付金)(2)(原告未申告分)(ク)及び(ケ)記載の各貸付金の原資の全部並びに同(1)(原告申告分)(イ)、(2)(イ)、(オ)ないし(キ)及び(コ)ないし(シ)記載の各貸付金の原資の一部が別表一三甲欄記載のとおりであることは認め、訴外ヨシ子が原告及びその家族名義の預貯金をしていたことは不知。

訴外金松には、前記中古工作機械の売買利益が、仮に原告主張の訴外千枝子及び訴外洋子に対する合計二五〇〇万円の贈与を差し引いても、約六五〇〇万円あり、これに対する相当の利息収入があつた。また、訴外金松は、右利息収入のほか、昭和四〇年から昭和四八年には合計七六五〇万円もの収入があつた。それにも拘わらず、本件相続開始当時、訴外金松の名義となつている財産は、預金及び訴外会社に対する貸付金の合計三九六六万九八二三円しかなかつたから、相当額の財産が訴外金松以外の名義となつている蓋然性が極めて高いのである。そして、昭和三八年に訴外ふじが倒れた後は、訴外ヨシ子が訴外金松の財産を管理していたが、別表二ないし四記載のとおり、訴外ヨシ子は訴外金松の財産を必ずしも同人の名義として管理していないことなどからすれば、原告及びその家族名義の預金、貸付信託等は訴外金松の遺産というべきである。

また、原告が原告及びその家族名義の定期預金、貸付信託等の原資と主張する郵便貯金等については、本件の調査の際にはその通帳等は提示されなかつたし、原告は昭和四九年二月末日において、訴外会社に対し、被告が訴外金松の遺産とした約三一〇〇万円の貸付金を除いても、約三五〇〇万円の貸付金を有していたこと、昭和四六年八月には訴外ヨシ子が逗子市のマンションを六六〇万円で購入し、うち四〇〇万円を現金で、残額は毎月三万四〇〇〇円の一〇年間月賦払いであつたことなどから、原告及びその家族名義の郵便貯金等は右原告の貸付金及びマンション購入の原資に充当されたものというべきである。

3  同3のうち、昭和三八年から昭和四五年までの七年間に、訴外金松が訴外ふじの医療費として三〇〇〇万円支出したことは否認し、その余は争う。

なお、原告は、審査請求の段階では、医療費は中古工作機械の売買利益から支出した旨主張しており、原告の主張は一貫していない。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一請求原因1ないし4の事実(本件相続の存在、本件処分の存在及び不服申立ての前置等)は、いずれも当事者間に争いがない。

第二相続財産の総額

一争いのない項目

抗弁1(相続財産の総額)(一)ないし(三)(土地、建物及び株式)、(七)(現金)、(八)(家庭用財産及びその他の財産)、(一〇)(未収家賃及び未収配当金)及び(二)(債務及び葬式費用)の事実は当事者間に争いがない。

二預金、貸付信託受益証券及び貸付金について

1  抗弁1(相続財産の総額)(四)(預金)(1)(港信用金庫芝支店)(ア)の全額及び(カ)のうち一万七九七五円(ただし、(ア)のうち三〇万円及び(カ)のうち二九九六円を各超える部分については自白の撤回があるが、後記3(一)(5)のとおり右自白が真実に反するとは認めるに足りないから、その撤回は許されない。)、(5)ないし(7)(東海銀行虎ノ門支店、第一勧業銀行日比谷支店及び安田信託銀行虎ノ門支店)の各預金(既経過利息を含む。)並びに(六)(貸付金)(1)(原告申告分)の全額(ただし、(ウ)及び(エ)の全額並びに(イ)のうち一〇〇万七三九八円及び(オ)のうち一〇三万九九五〇円を各超える部分については自白の撤回があるが、後記5(一)(1)のとおり、右自白が真実に反することを認めるに足りないから、その自白の撤回は許されない。)並びに(2)(原告未申告分)(ウ)のうち五〇万円、(エ)及び(ス)の全額並びに(ク)のうち五〇万円、(コ)のうち一〇二万二九三八円、(サ)のうち六八万円及び(セ)のうち一三万九五七六円(その元本との対応関係は、抗弁に対する認否4(二)(1)のとおりである。なお、(ウ)のうち右の五〇万円を超える五〇万円の部分及び(セ)のうち右の五〇万円に対応する右の一三万九五七六円を超える二万〇八二二円の部分についての自白の撤回は、後記5(二)(1)のとおり、許されるものというべきである。)については当事者間に争いがない。

2  抗弁1(四)ないし(六)記載の預金(既経過利息を含む。)、貸付信託受益証券及び貸付金(既経過利息を含む。)の存在及び額が被告主張のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

被告は、これらはすべて訴外金松の遺産である旨主張し、これに対し、原告は、右1の当事者間に争いがないもの(ただし、そのうち、原告が自白を撤回しているものを除く。)以外のものは、すべて、訴外金松の遺産ではない旨反論するので、以下その点の判断の前提となる事実等について判断する。

(一) 本件書類等及び本件メモの性格

〈証拠〉によれば、その作成者欄の訴外会社代表取締役訴外金松の記名押印を現実にしたのは原告と認められるものの、右本人尋問の結果によつても、原告のした右記名押印が訴外金松の意思に基づかないものとは認められないこと、その形式、文言から訴外会社の住友銀行に対する債務の担保の差し入れに関する書面であるところ、右本人尋問の結果によれば、その当時訴外金松が訴外会社の代表者であり、原告が訴外会社の専務取締役であることからすれば、原告のした右記名押印は訴外金松の指示によるものと推認でき、したがつて〈証拠〉によれば次の事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は、この認定に供した各証拠に照らし容易に採用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 本件相続について昭和四九年九月一四日に提出された原告及び訴外千枝子連名の相続税の申告書の課税相続財産の総額が二億七二三六万一〇〇〇円であり、同日提出された訴外洋子の相続税の申告書の課税相続財産の総額が三億八九六六万一〇〇〇円とその内容に相当の開きがあつたため、被告は本件相続について調査の必要があると判断した。

(2) そこで、昭和五〇年一〇月一八日東京国税局の武田陽一実査官(以下「武田実査官」という。)及び芝税務署の吉牟田聖吾調査官(以下「吉牟田調査官」という。)が訴外洋子方を訪問して、訴外洋子の依頼を受けて同人の相続税の申告書を作成した福永峰一税理士立会のもとに事情聴収をしたところ、訴外洋子及び右福永税理士は、原告名義の訴外会社に対する貸付金は訴外金松の預金を原資とするものであつて、名義に拘わらず全て訴外金松の遺産であり、また、他に仮名あるいは無記名の預金等が存在する旨の説明をした。

(3) 次いで、同月二〇日午前九時から武田実査官及び吉牟田調査官は、訴外会社の事務所において、原告、原告の依頼を受けた本件訴訟の原告訴訟代理人である黒澤辰三弁護士(以下「黒澤弁護士」という。)及び同弁護士事務所の浅井和子事務員立会のもとに調査を開始した。

武田実査官らは、原告に対し、申告に係る原資料の提示を求めてその調査を進める一方、訴外洋子に対する調査から仮名あるいは、無記名預金が存在していることを聞いていたのでその存在を、また、訴外金松死亡の直前一年位前から原告名義の訴外会社に対する貸付金が急激に増加していたのでその原資を解明する方向で調査をした。その結果、右一年間で原告の訴外会社に対する貸付金が約一五〇〇万円から約六六〇〇万円と原告の収入、資力からは考え難い増加を示していたので、吉牟田調査官は原告に対し裏預金があるかを尋ねたところ、原告はしばらくして存在する旨答えた。そこで、吉牟田調査官は原告の了解をえて原告の机を開けたところ、北陸銀行新橋支店の広瀬洋介名義の定期預金解約の利息計算書が出てきたので原告に対し事情の説明を求めた。それに対し、原告は右定期預金が訴外金松からの相続財産である旨答えた。また、武田実査官は、前記浅井和子事務員の所持していた訴外金松の遺産相続に関する記録中から本件メモを発見し、原告に対しその作成者を尋ねたところ、原告は自分が作成した、本件メモ中の「住友(虎ノ門)定期B二〇〇〇万」(住友銀行虎ノ門支店の定期預金約二〇〇〇万円を意味する。)及び「安田(虎ノ門)定期B二〇〇〇万」(安田信託銀行虎ノ門支店の貸付信託約二〇〇〇万円を意味する。)は訴外金松の裏預金を意味する記載である、「英夫一五〇〇万、千枝子一五〇〇万、洋子一〇〇〇万」は裏預金各二〇〇〇万の合計四〇〇〇万を大体こういうふうに分けようということで遺産分割の原案としてメモした旨答えた(なお、「英夫一五〇〇万」等の記載は、後記(二)(1)(カ)認定の事実と対比すると、昭和三七年一一月頃の贈与に関する事実を書いたものと認められるところ、右記載についての原告の説明は、この事実には反するものであるが、原告がこのように説明したのは訴外金松の遺産を実際よりも少なく見せるためにしたものと推認されるところである。)。武田実査官らは、原告に対し、裏預金の現物を見せてほしい、現物がないのならばその資料を見せてほしい旨述べたところ、原告は訴外会社の事務所にはない、自宅にある旨答えた。そこで、武田実査官らは、訴外会社事務所における調査も一応終了したので、同日午後二時半ころ、訴外会社事務所における調査を打ち切り、原告の自宅に向かうことにした。

なお、黒澤弁護士は、同日午後四時から、その事務所において他の依頼人から依頼されていた契約書を作成する予定であつたので、原告の自宅における調査に立ち会うことなく前記浅井和子事務員とともに、その事務所に引き上げた。

(4) 原告の自宅に着いた武田実査官及び吉牟田調査官は、原告に対し、相続財産に関係する銀行関係の資料を全部提出するように求めたところ、原告は、風呂敷包みを一個提出した。その風呂敷包みには、仮名あるいは無記名の定期預金の解約利息計算書、印鑑等(本件書類等の一部)が入つていた。そこで、武田実査官らは、原告に対し、これは訴外金松からの相続財産に関するものであるかを尋ねたところ、原告は訴外金松からの相続財産に関するものであることを認めた。

武田実査官らは、本件メモに記載されている裏預金四〇〇〇万円及び急激に増加した貸付金四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円があつたため、合計九〇〇〇万円前後を解明する必要があると判断していたが、右解約利息計算書等では右金額に達しなかつたので、更に、原告に対し、まだ資料があるのではないか、保管場所をみせてほしい旨を述べたところ、原告は武田実査官らを居間に案内したうえ、その押入れから、更に、風呂敷包みを一個出して、武田実査官らに提出した。その中身(本件書類等の一部)は、前記の風呂敷包みと同様であり、武田実査官らの、これも相続財産に関するものに間違いないかとの質問に対し、原告は、間違いない、相続財産に関するものである旨答えた。また、右本件書類等の一部には、原告及びその家族の名義のものも含まれていたので、武田実査官らは、原告に対し、その帰属関係を尋ねたところ、原告は各名義人に帰属するものではない旨答えた。

なお、当日は、他に原告の使用している茶色の鞄の中身も調査したが、武田実査官らは、その中にあつた原告及びその家族の名義の預金は、その金の流れから訴外金松からの相続財産ではないものと判断して、調査の対象からこれらを除外した。

また、自宅における調査の際に、原告から安田信託銀行虎ノ門支店に貸金庫がある旨の話があつたが、既に銀行の営業時間も過ぎていたので、翌日に右貸金庫を調査することにして、武田実査官らは、同日午後七時ころ、原告の自宅における調査を終えた。

(5) 吉牟田調査官は、原告の自宅から引き上げた後、原告から提出のあつた本件書類等の一部を検討したところ、解明すべき約九〇〇〇万円のうち六〇ないし七〇パーセント程度は解明されたが、解明されていない部分も残るので、未提出の書類があるものと判断した。

(6) 翌二一日午前九時から、武田実査官らは、原告立会のもと、貸金庫の調査をしたが、訴外ヨシ子所有の逗子のマンションの権利書の他に、訴外金松名義の安田信託銀行の定期預金の解約計算書等が存在していた。武田実査官らは、右書類等を検討して、訴外金松名義の定期預金の解約計算書以外は、訴外金松からの相続財産に関するものではないものと判断した。そして、右訴外金松名義の定期預金の解約計算書では、まだ未解明部分が残るので、未提出の書類の提出を求めて、再度原告の自宅に赴いた。

(7) 原告の自宅についた後、武田実査官らは、原告に対し、資料を全部出していないように思われるので、全部出してほしい旨述べたところ、原告は、更にもう一個の風呂敷包みを提出した。その中には、安田信託の株式売却の計算書、安田信託銀行の「富永忠雄様預かり分」とある仮名、無記名の貸付信託関係のメモ、貸付信託の解約、売渡計算書、印鑑等(本件書類等の一部)が入つていた。武田実査官らは、原告に対し、これらは訴外金松からの相続財産に関するものであるかを尋ねたところ、原告は、相続財産に関するものであり、富永忠雄は訴外金松の仮名である旨答えた。

武田実査官らは、右提出された風呂敷包みで関係資料は全部提出されたものと判断して、原告の自宅における調査を終えた。

(8) その後、吉牟田調査官は、本件書類等(右(4)の風呂敷包み二個及び右(7)の風呂敷包み一個の書類等)を調査、検討し、本件書類等によつても判明しない疑問点については、銀行調査等及び原告に対する照会をおこなつた。そして、調査の結果、前記解明すべき九〇〇〇万円の全部について解明することはできなかつたが、判明した申告漏れの相続財産の明細(本件処分と同内容のものである。)を書面にして、昭和五一年六月二五日、黒澤弁護士立会のもとで、原告に渡したうえ、修正申告をするようにしようようした。原告は、調査結果が間違つている等の異議を述べることなく、訴外千枝子及び訴外洋子との間の遺産分割の協議が成立するまで修正申告は待つてほしい旨を述べるにとどまつた。

(9) 被告は、原告からの修正申告を待つていたが、右しようよう後、数回のしようようにも拘わらず、一年近くも修正申告がされず、課税処分の除斥期間の終期がせまつたため、本件処分の準備をし、右の終期ぎりぎりに、本件処分をした(本件処分の存在は前記一のとおり当事者間に争いがない。)。

以上の認定事実によれば、原告は、訴外金松からの相続財産に関するものと述べて本件書類等を武田実査官らに提出し、また、本件メモ中の「住友定期B二〇〇〇万」及び「安田定期二〇〇〇万」を訴外金松の遺産である旨述べており、更に、本件処分と同内容の修正申告のしようように対し、原告が特に異議を述べていないのであり、これらに鑑みると、本件書類等からその存在を確認できる預金及び貸付信託並びに本件メモの「住友定期B二〇〇〇万」及び「安田定期B二〇〇〇万」に該当する預金及び貸付信託は、それが訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠のない限り、訴外金松に帰属していたものと認めるのが相当である。そして、訴外金松に帰属していたものと認めることのできる右の預金及び貸付信託を原資とする預金、貸付信託及び貸付金で本件相続の時に存在していたものは、訴外金松に帰属し、相続財産を構成するものと認むべきである。

(二) 中古工作機械売買利益からの裏預金の帰属

(1) 〈証拠〉によれば次の事実が認められ、〈証拠〉中のこの認定に反する部分はこの認定に供した各証拠に照らし容易に採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

(ア) 訴外金松は、第二次世界大戦前から関鉄工所の名称により個人で工作機械の製造、販売の事業を行つていた。訴外会社は、個人事業であつた関鉄工所を昭和二三年一月二〇日に法人化したもので、訴外金松を中心に、訴外ふじ及び訴外千枝子の夫伊東正立(以上「訴外伊東」という。)がこれに協力するいわゆる同族会社であり、昭和三二年四月以降は、原告が訴外会社に入社したので、原告も訴外ふじ及び訴外伊東とともに訴外金松に協力することになつた。

(イ) 関鉄工所は、戦災で工場が焼失してしまつたこと、終戦直後はいわゆるGHQの方針で工作機械の製造が制限されたことなどから、工作機械の製造は行わず、中古工作機械の修理、売買のみを行い、訴外会社も昭和三二年五月に「做フライス盤」を開発して工作機械の製造、販売を開始するまでは、中古工作機械の修理、売買のみを行つており、「做フライス盤」開発後も、昭和三七年ころまでは中古工作機械の修理、販売も行つていた。

(ウ) 国内の工作機械は戦災により多数が焼失したこと、昭和二〇年代においては国内の工作機械メーカーが工作機械の製造をする環境になかつたこともあつて、終戦後は中古工作機械の売買は盛んであり、転売価格も二倍ないし四倍になるなど利益も莫大であつたが、昭和三〇年代に入ると国内メーカーによる工作機械の製造も一般的に行われるようになり(右(イ)記載の訴外会社が昭和三二年から「做フライス盤」の製造、販売を開始したのも、その一環である。)、次第に、中古工作機械の売買も下火になり、昭和三二年ころを境に逐次のそれが行われなくなり、その利益も大幅に減少した。

(エ) 関鉄工所及び訴外会社における中古工作機械の売買は、訴外金松を中心にして、工作機械の鑑定、修理は訴外金松が、ブローカーからの情報の収集、ブローカー相手の交渉、締約は訴外ふじが、工作機械の存在する現場での交渉、競売は訴外金松及び訴外伊東が分担するなどしてこれを行つていた。

なお、訴外ふじが、訴外会社あるいは訴外金松とは別に、個人で中古工作機械の売買を行つたことはなく、原告も昭和三二年に訴外会社に入社するまでは中古工作機械の売買を手伝うことはなかつた。

(オ) 訴外金松は、中古工作機械の売買の利益の一部を訴外会社の帳簿に計上せず、仮名あるいは無記名の個人のいわゆる裏の定期預金として蓄財し、その額は昭和三七年一一月ころには約九〇〇〇万円となつていた。

(カ) 昭和三七年一一月ころ、訴外金松及び訴外ふじは、訴外洋子方に、原告、訴外千枝子及び訴外伊東並びに訴外洋子及びその夫の甘粕六郎を集めて、その席上において、訴外金松は、前記(オ)記載の裏の定期預金約九〇〇〇万円のうちから原告及び訴外千枝子に各一五〇〇万円、訴外洋子に一〇〇〇万円を贈与する旨を述べ、訴外ふじから訴外千枝子及び訴外洋子に対してはその額に相当する定期預金証書が手渡され、更に訴外ふじは、残余の約六五〇〇万円分の定期預金証書については訴外会社の危急存亡の時に使うようにと述べて当時訴外会社の取締役であり訴外会社の唯一の工場である中山工場の工場長であつた訴外伊東に手渡し、その管理を委託した。

なお、原告には一五〇〇万円に相当する定期預金証書は授与されなかつた。

(キ) その後、訴外伊東は、前記約六〇〇万円の定期預金証書を管理していたが、原告から会社の資金繰りが苦しい、訴外金松の承諾を得ているとの話があつたので、昭和四〇年これから三回にわたり右定期預金の一部を解約して合計二〇〇〇万円の現金を原告に渡した。

(ク) 昭和四二年三月一日、訴外会社の経営に関する口論から、訴外伊東は、原告からの暴行により肋骨骨折の傷害を受け、それが機縁となつて、同月一五日訴外会社を退職し、そのころ前記管理していた裏の定期預金証書の全部(前記(キ)で使用した分を除く。)を訴外金松に返還した。

(ケ) 訴外金松に返還された前記定期預金証書は、その後しばらくして原告に渡され、原告がこれを管理することとなつた。

以上の事実によれば、約九〇〇〇万円にのぼる裏預金を作り得た中古工作機械の売買は、訴外金松が訴外ふじ及び訴外伊東の協力を得て行つたことによる収益であつて、昭和三七年一一月に訴外洋子方において右裏預金の一部を分配した主体も訴外金松であるということができるのであるから、右裏預金の権利者は訴外金松であると解するのが相当である。

なお、原告は、右裏預金につき、訴外ふじが権利者であることを前提として原告がその贈与を受けた旨主張するが(原告の反論1(四))、その前提事実が認められないことは右に述べたとおりであり、原告の右主張を訴外金松から贈与を受けた旨の主張と解してみても、その主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三) 原告及びその家族の貯蓄

原告は別表一三甲欄記載の原告及びその家族名義の定期預金、貸付信託等は原告及び訴外ヨシ子の収入を原資とする預貯金を原資とするものである旨主張するので以下判断する。

(1) 原告本人尋問(第一回)によれば、同表4記載の三井信託銀行荻窪支店(元本三七〇万円)、同8及び9記載の三和銀行仙台支店(元本一〇〇万円及び一一五万五〇〇〇円)並びに同10記載の協和銀行荻窪支店(元本一〇九万)の各原告名義の定期預金は、右(二)記載の中古工作機械売買利益からの裏預金の一部である事実が認められ、〈証拠〉中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はないから、右各定期預金は、原告及び訴外ヨシ子の収入を原資とするものではないものというべきである。

(2) 〈証拠〉によれば、訴外ヨシ子は原告と婚姻した昭和三二年一二月以降、自己及び原告の収入を原資として原告及びその家族名義で月々数万円の預貯金をしていたこと、右預貯金からの出金額は昭和四八年までで約二〇〇〇万円となつたこと、右預貯金からの出金を原資として訴外ヨシ子は原告及びその家族名義の定額貯金、貸付信託等として蓄財していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、別表一三甲欄記載の定期預金、貸付信託等の原資として、訴外ヨシ子が月々数万円づつしていた右預貯金に具体、個別的にさかのぼることを認めるに足りる証拠はない。

(3) 〈証拠〉によれば、本件相続の税務調査、本件処分の不服申立て等を通じて昭和五六年一二月一六日の本件第一〇回口頭弁論期日に至るまで、原告は、被告が訴外金松からの相続財産と主張する預金、貸付信託及び貸付金のうち、原告において争つているものの原資は、訴外ふじが蓄財した中古工作機械の売買の利益からの裏預金であると主張し、原告及び訴外ヨシ子の収入を原資とするものとは主張していなかつた事実が認められる。

そして、別表一三甲欄記載の定期預金、貸付信託等は被告が訴外金松からの相続財産と主張する預金、貸付信託及び貸付金のうち、原告が争つているもののうちの一部の原資であることは当事者間に争いがない。

ところで、〈証拠〉によると、中古工作機械売買の利益からの裏預金は原告が管理し、原告及びその家族名義の預貯金、貸付信託等はそのほとんどを訴外ヨシ子が管理していたというのであり、そうであるとすれば、訴外金松からの相続財産であると被告の主張する預金、貸付信託及び貸付金のうちの一部が、原告主張のように原告及びその家族名義の預貯金、貸付信託を原資とするのであれば、原告において容易にその旨認識できた筈であり、当初からその旨の主張を当然に行うものと考えられるところ、昭和五二年八月二〇日に本件処分に対する異議申し立てをしてからでも四月余も経ている昭和五六年一二月になつて初めてその旨の主張をすることは極めて不自然であり、結局、原告及び訴外ヨシ子の収入を原資とする旨の原告の主張が遅れたのは、それが虚構であつて事実ではないとする以外に、これを首肯させるに足る合理的理由は考え難く、また、これ以外の合理的理由を窺わせるに足りる証拠はない。

(4) 右に加えて、〈証拠〉によれば、被告が訴外金松からの相続財産であると主張している訴外会社に対する貸付金以外に、原告名義の貸付金が三三〇〇万円以上存在する事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、原告は、右貸付金の原資について容易に主張、立証できる立場にありながら、その原資について何ら主張、立証しておらず、他にその原資となるものは窺われないから、右(2)の認定の訴外ヨシ子のしていた預貯金は右貸付金の原資となつたものとも考えられる。

以上(1)ないし(3)を総合して考えると、訴外ヨシ子には相当の蓄財はあると認められるものの、それが別表一三甲欄記載の各定期預金、貸付信託及び貸付金の原資となつたことは認めることはできないというべきであり、右認定に反する〈証拠は容易に採用できない。

(四) 訴外ふじの医療費と訴外金松の蓄財

(1) 原告は、訴外ふじが昭和三八年一一月に病に倒れた後、昭和四五年一一月に死亡するまでに、訴外金松は訴外ふじの医療費として月約三五万円ないし三八万円、七年間で少なくとも三〇〇〇万円を支出したため、訴外金松は、その間蓄財する余裕はなかつた旨主張するので(原告の反論3(五))、この点につき判断する。

(2) 〈証拠〉によれば、訴外金松は昭和四〇年ないし昭和四五年の所得税の確定申告にあたつては、訴外ふじの医療費として各年、〇円、一八二万四九一九円、一〇七万二三二〇円、一三五万三二六六円、八五万六七四〇円、一一七万八六〇〇円を支出したと申告している事実が認められ、右認定に反する証拠はない。原告本人尋問(第一回)の結果中には、当時の医療費控除は三〇万円が上限であつたので申告に際しては、三〇万円を超える適当な額を医療費として申告し、それに対する領収書以外は捨てた旨の部分が存在するが、右供述に従えば医療費としては三〇万円のみを申告すれば足りるものであるのに昭和四一年以降三〇万円を大幅に超える医療費の申告をしていること、右供述では昭和四〇年の申告医療費〇円の説明がつかないこと、〈証拠〉によれば保存の必要性があるとは認め難い昭和四五年一一月三〇日付け以降の家政婦に対する支払いの領収書が保存されているのに訴外ふじの医療費として支出された費用の領収書の相当部分を保管せずに捨てたとするのは釣り合いがとれず不自然であることに照らし、右供述部分は信用し難い。

そして、〈証拠〉によれば、訴外ふじの療養中の関家の訴外ふじの通常の医療費も含めた生活費は、訴外金松及び原告の月々の給料で、月によつては訴外ヨシ子の収入の一部を加えたもので賄えていた事実が認められ、したがつて、その総額自体それほど高額なものとは解されないから、前記申告額はほぼ実際の医療費に添うものと解され、原告本人尋問(第一回)の結果中右認定に反する部分は採用できない。

(3) 右(2)の事実に加え、他に申告額以上に訴外ふじの医療費を支出したことを認めるに足りる証拠のない本件においては、訴外ふじの医療費は、前示申告額程度のものであつたと認めるのが相当である。

(4) 〈証拠〉によれば、訴外金松の昭和四〇年から昭和四八年までの申告所得額は、各年、八六九万八四〇二円、五八〇万七一三七円、四八九万五九六三円、五八八万九七四〇円、六四五万八四七九円、八七七万八六四五円、一一〇五万八一〇三円、一一〇五万五一八五円、一一九一万一〇二〇円である事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(5) 右(4)のように、訴外金松は昭和四〇年以降相当額の所得を得ていたのであり、これに対し、右(3)のとおり訴外ふじの医療費は申告額程度であつたから、訴外金松は、昭和四〇年以降も相当額の蓄財が可能であつたと認めるのが相当と考えられる。

(五) 以上の諸事実を踏えて以下預金等の帰属について判断する。

3  預金

(一) 港信用金庫芝支店

(1) 抗弁1(四)(預金)(1)(港信用金庫芝支店)(イ)ないし(オ)記載の各定期預金の設定経緯が別表二記載のとおりであり、その原資が同一二36ないし46及び同一三36ないし45の各貸付信託であること、同二記載の無記名式資付信託一一口が本件メモの「安田(虎ノ門)定期B二〇〇〇万」との記載に該当する無記名式貸付信託二一口の一部であることは当事者間に争いがない。

なお、別表二、一二及び一三の記載から明らかなように、同二の貸付信託売却代金等のうち、無記名式一〇口は同一二37ないし46記載の各貸付信託に、無記名式一口は同36記載の貸付信託に、同二の貸付信託収益配当金は同36ないし46記載の利息に、同二の貸付信託売却代金等のうち関英夫名義三口は同一三36ないし38記載の各貸付信託に、関映子名義一口は同39記載の貸付信託に、関由見子名義六口は同40ないし45記載の各貸付信託にそれぞれ該当することが明らかである。

(2) 〈証拠〉によれば本件メモの「安田(虎ノ門)定期B」との記載に該当するのは、別表一二26ないし46記載の二一口の無記名式貸付信託であつて、前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、前記2(二)記載のとおり、右裏預金は訴外金松に帰属するものであるから、右(イ)ないし(オ)記載の定期預金のうち、別表一二36ないし46記載の各無記名式貸付信託及びその利息、すなわち、同二の、貸付信託売却代金等のうちの無記名式一〇口売却代金及び一口元本払戻並びに貸付信託収益配当金を原資とするものは訴外金松の遺産というべきである。

(3) 〈証拠〉によれば、別表二記載の原告名義三口、関映子名義一口及び関由見子名義六口の各貸付信託に係る貸付信託売渡代金計算書合計二〇通、受領名義を関由見子とする無記名式貸付信託収益配当金支払内訳票合計五通、無記名式貸付信託の期日後収益に係る「貸付信託収益のご案内」と題する書面一通並びに前記各書類に係る貸付信託売却代金、収益配当金等の全額を安田信託銀行虎ノ門支店の原告名義の普通預金勘定に入金した「記帳のご案内」と題する書面二通が本件書類等の一部である事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば別表一三36ないし45記載の各貸付信託、すなわち、同二の貸付信託売却代金等のうちの関英夫名義三口、関映子名義一口及び関由見子名義六口は、いずれも本件書類等によりその存在を確認できる貸付信託に該当するところ、訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠はないから、訴外金松に帰属するものというべく、したがつて、右(イ)ないし(オ)記載の定期預金のうちこれらを原資とするものは、訴外金松の遺産というべきである。

(4) そうすると、右(イ)ないし(オ)記載の定期預金は、すべて訴外金松の遺産であり、したがつて、(カ)のうち右預金に対応する三万五二八五円もまた訴外金松の遺産である。

(5) 抗弁1(四)(預金)(1)(港信用金庫芝支店)(ア)のうち三〇万円及び(カ)の既経過利息のうち二九九六円を各超える部分について、原告は、当初訴外金松の遺産であることを認める旨の自白をしたが、その自白を撤回している。

ところで、右自白撤回部分についても、前記(1)ないし(3)と同様の事情が存在するから、(4)と同様に、訴外金松の遺産に属するものであり、それが訴外金松の遺産に属する旨の原告の自白は真実に反するものとは認められず、その撤回は許されないから、自白が成立しているものである。

(二) 住友銀行虎ノ門支店

(1) 抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(ア)ないし(コ)記載の各定期預金が本件メモの「住友(虎ノ門)定期B二〇〇〇万円」に該当する定期預金であること、その書換の状況が別表三記載のとおりであること、(ア)ないし(コ)記載の各定期預金が訴外会社の借入金の担保として同支店に差し入れられていたことは当事者間に争いがない。

(2) 〈証拠〉によれば、「住友(虎ノ門)定期B」に該当する各定期預金は前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、右裏預金は訴外金松に帰属するものであるから、右(1)記載のとおり右各定期預金に該当する抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(ア)ないし(コ)記載の各定期預金及び同(ス)記載の既経過利息のうち右各定期預金に対応する二五万四六八六円は訴外金松の遺産というべきである。

(3) 抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(サ)及び(シ)記載の各定期預金並びに同(ス)記載の既経過利息のうち右各定期預金に対応する二万〇五八九円については、訴外金松の遺産であることを認めるに足りる証拠はないから、これを、訴外金松の遺産であるとすることはできない。

(三) 日本信託銀行新橋支店及び富士銀行中野支店

原告本人尋問の結果(第一回)によれば、抗弁1(四)(預金)(3)(日本信託銀行新橋支店)(ア)ないし(ウ)記載の各定期預金及び同(4)(富士銀行中野支店)(ア)ないし(ク)記載の各定期預金は、前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、右裏預金は訴外金松に帰属するものであるから、右各定期預金は訴外金松の遺産というべきであり、また、抗弁1(四)(3)(エ)及び同(4)(ケ)記載の右各定期預金の既経過利息も訴外金松の遺産というべきである。

(四) 前記1及び右(一)ないし(三)によれば、訴外金松の遺産となる預金は合計五六三八万七九七〇円となる。

4  貸付信託受益証券

本件書類等の中に、抗弁1(五)(貸付信託受益証券)記載の各貸付信託受益証券の売渡代金計算書が存在していたことは当事者間に争いがない。したがつて、右各貸付信託受益証券は本件書類等によりその存在を確認できるものであるところ、訴外金松に帰属するものではないことを窺わせるに足りる証拠はないから、右貸付信託受益証券金額合計九五万七六二九円は訴外金松の遺産というべきである。

5  貸付金

(一) 原告申告分について

(1) 抗弁1(六)(貸付金)(1)(原告申告分)(イ)のうち一〇〇万七三九八円を超える部分、(ウ)及び(エ)の各全額並びに(オ)の既経過利息のうち一〇三万九五五〇円を超える部分について、原告は、当初訴外金松の遺産であることを認めるとの自白をしたが、その自白を撤回している。そこで、右の自白の撤回が許されるかについて判断する。

(ア) (イ)のうち、一〇〇万七三九八円を超える部分の原資が、別表一二23、24及び同一三3、4記載の各定期預金である(抗弁1(六)(2)(原告未申告分)(イ)の原資を含む。)ことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、同一二23、24及び同一三4記載の各定期預金が、前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、前記2(二)記載のとおり右裏預金は訴外金松に帰属するものである。

また、〈証拠〉によれば、本件書類等の中に、同一三3記載の定期預金に関する定期預金計算書が存在していた事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、右は本件書類等によりその存在が確認できるものであり、訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠はないから、訴外金松に帰属するものというべきである。

してみると、(イ)のうち一〇〇万七三九八円を超える部分の自白が真実に反するとの立証はないから、その撤回は許されず、右部分については自白が成立するというべきである。

(イ) (ウ)及び(エ)の原資が別表一二26ないし35記載の各貸付信託であることは、当事者間に争いがない。

ところで、右各資付信託が、本件メモの「安田(虎ノ門)定期B」の記載に該当するものであつて、前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることは、前記3(一)(2)に述べたとおりである。そして、前記2(二)記載のとおり、右裏預金は訴外金松に帰属するものであり、(ウ)及び(エ)についての自白は真実に反するとはいえないから、自白の撤回は許されず、自白が成立するものというべきである。

(ウ) 以上によれば、(オ)の既経過利息のうちの、(イ)のうち一〇〇万七三九八円並びに(ウ)及び(エ)の全額に各対応する部分についての自白の撤回は、基本たる元金についての撤回が許されない以上、やはり許されないものというべきである。

(2) 前記1及び右(1)に、抗弁1(六)(貸付金)(1)(原告申告分)について八万七三九〇円が返済されているとの当事者間に争いがない事実を合せ考えれば、訴外金松の遺産となる原告申告分の資付金(既経過利息を含む。)は、被告主張のとおり三三一二万八八二六円となる。

(二) 原告未申告分

(1) 抗弁1(六)(貸付金)(2)(原告未申告分)(ウ)のうち、五〇万円を超える五〇万円の部分及び(セ)の既経過利息のうち右五〇万円を超える部分に対応する二万〇八二二円について、原告は、当初訴外金松の遺産であることを認める旨の自白をしたが、その自白を撤回している。そこで、右の自白の撤回が許されるかにつき判断する。

〈証拠〉によれば昭和四八年九月五日に訴外ヨシ子の収入を原資とする同人名義の預金から五〇万円が引き出されている事実が認められ、これに同号証の同日欄に「会社」と手書きで付記されていることから、右五〇万円が右(ウ)の貸付金の原資の一部であると窺われるところ、これに反する証拠のない本件においては、右(ウ)のうち五〇万円を超える部分の原資は訴外ヨシ子の収入を原資とするもので、訴外金松の遺産に属さないものとするほかないので、右(ウ)のうち五〇万円を超える部分の自白は真実に反するものというべきである。そして、弁論の全趣旨によれば、右部分の自白は錯誤に基づくもので、その錯誤について、原告には故意又は重大な過失はないものと認められるから、右部分の自白の撤回は許され、そうである以上、(セ)の既経過利息のうち右に対応する二万〇八二二円についての自白の撤回も同様許されるものというべきである。

そして、右に述べたところからすれば、(ウ)のうち五〇万円を超える部分及び(イ)のうちこれに対応する二万〇八二二円は訴外金松の遺産ではないということができる。

(2) 抗弁1(六)(貸付金)(2)(原告未申告分)(ア)、(オ)及び(カ)について

右(ア)が別表一二22、右(オ)が別表一三8及び9、右(カ)が同表10記載の各定期預金を原資としていることは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、別表一二22の定期預金が前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることが認められ、右認定に反する証拠はない。

また、前記2(三)(1)記載のとおり、別表一三8ないし10記載の各定期預金も、前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部である。

そして、前記2(二)記載のとおり右裏預金は訴外金松に帰属するものであるから、右(ア)、(オ)及び(カ)の各貸付金は、訴外金松の遺産というべきである。

(3) 同(イ)について

右(イ)の原資が、別表一二23、24及び同一三3、4記載の各定期預金である(抗弁1(六)(1)(原告未申告分)(イ)の原資を含む。)ことは当事者間に争いがない。

そして、右各定期預金が訴外金松に帰属するものであることは、前記(一)(1)(ア)記載のとおりであるから、右(イ)の貸付金は訴外金松の遺産というべきである。

(4) 同(キ)について

右(キ)の原資が、抗弁1(四)(預金)(2)(住友銀行虎ノ門支店)(ア)ないし(コ)記載の各定期預金の書換前の預金の利息及び別表一三5ないし7記載の各定期預金であることは、当事者間に争いがない。

抗弁1(四)(2)(ア)ないし(コ)記載の各定期預金の書換前の預金が訴外金松に帰属するものであることは、前記3(二)(2)記載のところから明らかであるから、右各定期預金の利息は同様訴外金松に帰属するものというべきである。

また、〈証拠〉によれば、別表一三5記載の定期預金の定期預金計算書並びに同6及び7記載の各定期預金の定期預金利息計算書が本件書類等の中に存在していた事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、右各定期預金は、本件書類等によりその存在が確認できるものであり、訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠はないから、訴外金松の遺産というべきである。

(5) 同(ク)について

右(ク)(前記1記載のとおり、うち五〇万円については訴外金松の遺産であることに争いがない。)の原資のうち、四九一万二六〇八円については別表一三17ないし31記載の各貸付信託であることは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、右各貸付信託の貸付信託売渡代金計算書が本件書類等の中に存在していた事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、右各貸付信託は本件書類等によりその存在が確認できるものであり、訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠はないから、訴外金松に帰属するものというべきである。

そうすると、右(7)の貸付金五〇〇万円の原資のうち、九八パーセント余を占める四九一万二六〇八円が訴外金松に帰属していたのであるが、このような場合は、右(ク)の貸付金は全体として訴外金松に帰属するものと推認されるところ、残余の原資が訴外金松に帰属しないなど右推認を覆すべき事情を認めるに足りる証拠はないから、右(ク)の貸付金は、全体として訴外金松に帰属するもので、訴外金松の遺産ということができる。

(6) 同(ケ)について

右(ケ)が別表一三32及び33記載の各貸付信託を原資としていることは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、右各貸付信託の指定金銭信託元本払戻計算書が本件書類等の中に存在していた事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、右各貸付信託は本件書類等によりその存在が確認できるものであり、訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠はないから、訴外金松に帰属するものというべきである。

してみると、右(ケ)の貸付金は、訴外金松の遺産というべきである。

(7) 同(コ)のうち一〇二万二九三八円を超える部分について

右(コ)のうち一〇二万二九三八円を超える部分の原資が別表一三34、35記載の各貸付信託であることは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、右各貸付信託の貸付信託売渡代金計算書が本件書類等の中に存在していた事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、右各貸付信託は本件書類等によりその存在が確認できるものであり、訴外金松に帰属するものでないことを窺わせるに足りる証拠はないから、訴外金松に帰属するものというべきである。

そうすると、右(コ)のうち一〇二万二九三八円を超える部分は、訴外金松の遺産というべきである。

(8) 同(サ)のうち六八万円を超える部分について

〈証拠〉によれば、右(サ)のうちの六八万円を超える部分の原資中一六九万七二三九円については、訴外ヨシ子の姉である黒沼トリから借りたものであり、うち一六四万二七二八円は、その直後に訴外関映子名義の割引債を売却して返済した事実が認められ、右認定に反する証拠はないところ、右割引債が訴外金松の遺産であることを窺わせるに足りる証拠はないから、少なくとも、右一六四万二七二八円については訴外金松の遺産とはいえない。更に、右(サ)のうち六八万円を超える部分のうち一六四万二七二八円を超える部分について、その原資が訴外金松に帰属することを認めさせるだけの証拠はない。

してみると、右(サ)のうち六八万円を超える部分は、訴外金松の遺産とすることはできない。

(9) 同(シ)について

右(シ)の原資のうち、五二万八九二一円が別表一二25記載の定期預金の元本及び利息であることは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、右定期預金が、前記2(二)記載の中古工作機械売買の利益からの裏預金の一部であることが認められ、右認定に反する証拠はないところ、前記2(二)記載のとおり右裏預金は訴外金松に帰属するものである。

右五二万八九二一円を超える部分の原資が訴外金松に帰属するとの証拠はない。

そうすると、右(シ)の貸付金のうち、五二万八九二一円のみが訴外金松の遺産というべきであり、その余は同人の遺産とはいえない。

(10) 同(セ)の既経過利息

(ア) 前記1及び右(1)ないし(9)によれば、右(セ)の既経過利息のうち、右(ア)、(イ)、(エ)ないし(コ)及び(ス)に対応する部分については、抗弁1(六)(2)(セ)において被告の主張する対応額が訴外金松の遺産となるというべきである。

(イ) 右(ウ)に対応する既経過利息のうち、右(1)において、訴外金松の遺産ではないとした二万〇八二二円を除く二万〇八二一円が訴外金松の遺産であることは、前記1のとおり当事者間に争いがない。

(ウ) 右(サ)のうち六八万円に対応する既経過利息一万一七七四円が訴外金松の遺産であることは、前記1のとおり当事者間に争いがない。

(エ) 右(シ)のうち(9)で訴外金松の遺産と認定した五二万八九二一円に対応する既経過利息は、計算上、一九七一円(528,921×0.08×17/365≒1,970.7)となるから、右金額は、訴外金松の遺産というべきである。

(オ) 右(ア)ないし(エ)によれば、訴外金松の遺産となる貸付金の既経過利息は、一一二万八四四三円となる。

(11) 右(1)ないし(10)を総合すれば、訴外金松の遺産となる原告未申告分の貸付金及び既経過利息は、合計二八八三万六四六五円となる。

(三) 右(一)及び(二)によれば、訴外金松の遺産となる貸付金及び既経過利息は、合計六一九六万五二九一円となる。

(四) なお、原告は、仮に、中古工作機械の売買の利益からの裏預金が訴外金松の遺産であるとしても、原告が贈与を受けた一五〇〇万円を原資とする貸付金の元本一五五一万九一七九円及びこれに対応する既経過利息八〇万四五二〇円は訴外金松の遺産から控除すべき旨主張している(抗弁に対する認否4(三))。

前記2(二)(1)(カ)のとおり、訴外金松は、昭和三七年一一月ころ、中古工作機械の売買の利益による裏預金約九〇〇〇万円の中から一五〇〇万円を原告に贈与する旨述べているが、右の贈与の意思表示が書面によりされたことについては、これを認定するに足りる証拠がない。

ところで、書面によらざる贈与は当事者においていつでも取消すことができる(民法五五〇条)から、贈与により財産を取得する時期は、現実に贈与の履行が終つた時と解するのが相当である。

そして、訴外金松が、原告に対して、右贈与を現実に履行したことを窺わせるに足る証拠はないし、前記2(二)(1)(ケ)記載の原告が中古工作機械売買の利益からの裏預金の定期預金証書の管理を始めた後に、原告が贈与を受けた一五〇〇万円を原資とすると主張する定期預金証書について、他のものと異なる管理がされたことを窺わせるに足りる証拠もないから、原告に対して一五〇〇万円の贈与が現実に履行されたとは認められない。

したがつて、原告の右主張は採用できない。

三本件農地の所有権移転請求権等

1  抗弁1(九)(1)のとおり、訴外金松が本件農地を買い受けて、農地法に基づく知事の許可を停止条件とする所有権移転の仮登記を経由している事実は当事者間に争いがない。

2  ところで、農地の所有権が移転するためには農地法所定の許可が必要であり、右許可は所有権移転の効力発生要件と解すべきであるが、右許可前においても農地の売買契約が何らの法的効力も有しないものと解すべきではない。すなわち、農地の売買契約は最終的には買主に当該農地の所有権を移転させることを目的としてされるものであるから、売主は買主に対し、当該農地の所有権を移転させるべく農地法所定の許可申請に協力し、右許可を条件として所有権移転登記手続、引渡し等をすべき債務としての所有権移転義務を負うものであり、他方、買主は売主に対し、農地法所定の許可申請協力請求権及び右許可を条件とする所有権移転登記手続請求権、引渡請求権等債権としての所有権移転請求権を取得するものと解するのが相当である。

しかして、前記のとおり農地の売買契約は農地法所定の許可前においても法的効力を有するものであり、農地の買主の有する所有権移転請求権は、農地の所有権という財産権の取得を目的とするものであるから、財産的価値を有するものと解するのが相当である。

3  〈証拠〉によれば、訴外金松のした本件農地の売買契約においては、売主が農地法所定の許可申請手続及び許可後の所有権移転登記手続を履行することなど本件農地の所有権移転に必要な一切の義務を履行することとして代金を四〇〇万円と定められ、右売買代金以外の金銭給付は予定されていないこと、訴外金松は売買代金の全額を支払つていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかして、右売買契約においては、最終的に本件農地の所有権を訴外金松に移転させることを目的とし、かつ、右売買代金以外の金銭給付は予定されていないうえ、売買代金全額が既に支払われているから、本件農地につき訴外金松が取得した所有権移転請求権は本件農地の所有権と同一の財産的価値を有しているものと解するのが相当である。

4  本件相続当時の本件農地の価格が二四一六万八〇三八円であることは当事者間に争いがないから、本件農地の所有権移転請求権の価格は二四一六万八〇三八円と認められる。

5  なお、原告は、本件農地の本件相続当時の所有者である訴外片山ことから、消滅時効を援用されるおそれがあり、また、援用されないとしても多額のいわゆるはんこ代を請求されるおそれがあつたから本件農地の所有権移転請求権等は当時の本件農地の価格である二四一六万八〇三八円の価値はなかつた旨主張している。ところで、時効は援用権者が援用して初めてその効力が生ずる(民法一四五条)ものであるから、単にその可能性があるからといつて相続財産の価格算定上これを考慮すべき必要はないものと解すべきところ、本件相続当時、右片山が時効の援用をしていなかつたことは原告の自認するところであるから、時効援用の可能性をもつて本件農地の所有権移転請求権の価格を減額すべきものとは認められない。また、売買代金の全額をすでに支払つている以上、訴外金松の相続人においていわゆるはんこ代を支払う法的義務はないうえ、本件相続当時、右片山がはんこ代を請求していなかつたことは原告の自認するところであつて、はんこ代の要求は単なる可能性にすぎず、このような可能性は常に存在しうるから、これをもつて本件農地の価格を減額すべきものとは認められない。

なお、本件相続後に、具体的にはんこ代を請求されることになつたとしても、原告ら相続人にはこれに応ずる法的義務はないのであるから、右結論を左右するものではない。

四総括

以上によれば、訴外金松の相続財産の総額は、積極財産の総額三億五九二〇万二六九八円から消極財産の総額七六四万九五八三円を控除した三億五一五五万三一一五円となる。

第三原告に対する課税価格

一争いのない項目

抗弁2(一)(2)及び(二)(1)(西新橋一丁目の土地及び建物)は、当事者間に争いがない。

二明舟町の土地

1  明舟町の土地のうち、原告が昭和五〇年三月七日に成立した遺産の一部分割調停により自用地部分の全部及び借用地部分207.98平方メートルのうち25.23平方メートルの各共有持分の二分の一を取得したこと、相続税の財産評価上、自用地部分が六七六三万七九〇〇円、借用地部分が七四八万七二八〇円と評価されることは当事者間に争いがない。

2  したがつて、相続税の財産評価上、原告の取得した自用地部分の共有持分は三三八一万八九五〇円、借用地部分25.23平方メートルの共有持分は四五万四一四〇円となるから(末尾計算式参照)、原告の取得した明舟町の土地の共有持分は三四二七万三〇九〇円と評価すべきことになる。

67,637,900÷2=33,818,950

7,487,280÷207.98×25.23÷2

=454,140

3  原告は、明舟町の土地のうち原告取得部分の評価は、その全体の評価額に原告の取得割合を乗じたものによるべきであり(抗弁に対する認否9(一)(4))、仮にそうでないとしても、右1の一部分割調停により同地上の建物収去したから、原告の取得部分の評価に当たつては、借用地部分の借地権価格に相当する価格を負担金として控除すべきである(同(5))と主張しているので、以下判断する。

(一) 借用地部分は、昭和二五年七月ころから原告所有建物の敷地として、原告が訴外金松から使用貸借契約により借り受けていたことは原告において明らかに争わないところである。そして、弁論の全趣旨によれば、借用地部分については右使用貸借がされた時点において贈与税の課税がされたものとして扱われていたため、相続税の財産評価上、その評価は借地権の負担のある土地と同様の方法により扱うべきものとされている(相続税個別通達昭和四八年直資二―一八九「使用貸借に係る土地についての相続税及び贈与税の取扱いについて」六)ことが認められる。

(二) 借用地部分について右通達による取扱いがされる結果、明舟町の土地は、相続税の財産評価上は、自用地部分及び借用地部分に分けて格別に評価する必要が生ずるから、例え連続する土地であつても全体として一画地としてではなく、自用地部分及び借用地部分の二画地として扱うべきものと解するのが相当であり、このことは、相続財産の総額を算定する場合ばかりではなく、各相続人の具体的相続分を算定する場合にも、同様に妥当するものというべきである。

明舟町の土地の全体評価額に原告の取得割合を乗ずべき旨の原告の主張は、右土地全体の評価額を算定するに際しては、二画地として評価することは是認するものの、各相続人の具体的相続分を算定するに際しては、一画地として評価すべしとするもので、右説示に照らして、採用できない。

(三) 右(一)のとおり原告は、借用地部分に使用借権を有していただけで、借地権を有していたわけではないから、右一部分割の調停により原告が借地権価格相当の負担をするということはあり得ないことである。なお、借用地部分につき、借地権の負担のある土地と同様の評価をするという右(一)の取扱いは、財産の評価に関するものであつて、その取扱いがされたからといつて、他の関係で借用地部分に原告が借地権を有しているということになるはずがない。

したがつて、訴外洋子の取得した借用地部分の借地権価格に相当する価額を遺産分割に伴う負担として控除すべき旨の原告の主張は採用できない。

三右一及び二(西新橋一丁目の土地及び建物並びに明舟町の土地)以外の積極財産

1 前記一及び二以外の積極財産が本件処分当時未分割であつた事実は当事者間に争いがない。そこで、右未分割財産に対する原告の具体的相続分について判断する。

2  本件和解について

(一) 昭和五一年一月一一日、抗弁2(一)(3)(イ)記載の内容の本件和解が成立した事実は当事者間に争いがない。

(二) 〈証拠〉に右(一)の当事者間に争いがない事実を合せ考えれば、本件相続に関して原告と訴外洋子間に紛争が存在し、訴外洋子は、本件相続による遺産分割を自己に有利に進めるため、訴外会社の株主総会の決議取消訴訟の提起並びに訴外会社の代表取締役(原告)の職務執行停止及び代表取締役職務代行者選任の仮処分の申請をしたこと、原告と訴外洋子は、右訴訟及び仮処分申請を含む両者間の本件相続についての紛争を解決する目的で本件和解を成立させたこと、本件和解成立により、訴外洋子が原告に対し訴外金松及び訴外ふじからの相続財産のうちの未分割財産に対する訴外洋子の権利を譲渡し、原告が訴外洋子に対し本件相続の相続分の譲渡の代償とする趣旨で、後記四1に述べる七五万五〇〇〇円(これが本件相続の相続分の譲渡の代償であることは、そこで述べるとおり当事者間に争いがない。)及び麻布台の土地及び建物(原告の所有であつた。)を譲渡した(本件和解においては、原告と訴外洋子との間において、右土地及び建物の所有権が訴外洋子にあることが確認されているが、実際は、右に述べたように、原告から訴外洋子に原告所有の右土地及び建物が譲渡されたものである)ことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定によれば、本件和解は、原告と訴外洋子間の本件相続に関する紛争を解決することを目的として、訴外洋子から原告に対し、訴外金松及び訴外ふじからの相続財産のうち未分割財産に対する訴外洋子の相続分を譲渡し、原告が訴外洋子に対し訴外金松からの相続財産に係る右の相続分の譲渡につき、前記のような代償を与える、との原告と訴外洋子間の合意ということができる。

(三) 遺産分割は、全部分割、一部分割を問わず、全相続人の合意がなければできないから、訴外金松の相続人の一人である訴外千枝子を除いてされた本件和解は、訴外洋子から原告への、代償を伴う未分割財産に対する相続分の譲渡と評価するほかはない。

そして、本件和解は、訴外千枝子の権利義務に全く影響を及ぼさないもので、同人の承諾の有無等により、その効力、法的性質に変化が生ずるものではないから、同人が本件和解に対して、これを知りながら何らの異議を述べなかつたことを評価してこれを黙示の承諾ということができるとしても、本件和解が、相続分の譲渡という二当事者の合意から遺産の一部分割という全相続人の合意へとその法的性質に変化が生ずると見るのは相当ではない。

3  相続分の譲渡と相続税の課税価格

(一)  相続税法一一条、一一条の二、三二条、三五条三項等の規定から考えると、同法は、各共同相続人が現実に取得した財産の価格に応じて相続税を課することを原則(以下「相続税の課税原則」という。)としているものと解される。

ところで、同法五五条は、遺産の全部又は一部が未分割の場合には、未分割財産については、各共同相続人が民法(九〇四条の二を除く。)の規定による相続分に従つて未分割財産を取得したものとして相続税の課税価格を計算する旨を定めている。遺産の分割をする時期については、法律上期間の制限がないため、遺産の分割が完了するのを待つて相続税の課税価格を計算しなければならないとすると、相続税法二七条一項の申告期限までには課税価格の計算ができなかつたり、更正等の除斥期間との関係で課税ができなくなる事態が生ずることにもなりかねないことなどから、同法五五条は、遺産分割が完了しない場合の課税価格の計算方法を定めたものである。そして、同条は、遺産の全部又は一部が未だ分割されていない時点では、各共同相続人は、他の共同相続人に対し、未分割の個々の遺産について具体的な権利を主張することはできないが、未分割遺産全体について自己の相続分の割合に応じた持分的な権利を主張できることを踏えて、相続税の申告又は課税をする場合において、遺産の全部又は一部が分割されていないときは、未分割の遺産については、前述の持分的な権利の割合に従つて右遺産を取得したものとして課税価格を計算するものとしているのである。そうすると、同条の規定するところは、前述の相続税の課税原則そのものではないが、未分割の遺産が存在することを前提とする限り、右原則に最も近似するものであつて、基本的には、右原則と同様のものと評価することができる。以上述べたところに鑑みると、同条にいう相続分とは、民法九〇〇条ないし九〇四条の規定により定まる相続分(以下「法定等相続分」という。)のみをいうものではなく、共同相続人間で相続分の譲渡があつた場合における当該譲渡の結果定まる相続分(譲渡人については法定等相続分から譲渡した相続分を控除したものを、譲受人については法定等相続分に譲り受けた相続分を加えたもの)も含まれるものと解するのが相当である。

(二) ところで、相続税法五五条にいう「相続分の割合」とは、共同相続人が他の共同相続人に対してその権利を主張することができる持分的な権利の割合をいうものと解するのが相当である。そして、遺産の一部の分割がされ、残余が未分割である場合には、各共同相続人は、他の共同相続人に対し、遺産全体に対する自己の相続分に応じた価格相当分から、既に分割を受けた遺産の価格を控除した価格相当分についてその権利を主張することができるものと解される。

4  未分割財産に対する原告の相続分

(一) 本件和解成立までに分割されていた訴外金松の遺産は、明舟町の土地並びに西新橋一丁目の土地及び建物のみで、その余の財産が未分割であつたこと、そのうち訴外洋子が取得したのは明舟町の土地のうち借用地部分のうちの182.75平方メートル並びに西新橋一丁目の土地及び建物の共有持分三分の一であることは当事者間に争いがなく、訴外金松の遺産のうち積極財産は、前記第二で認定したとおり三億五九二〇万二六九八円であるから、これに対する原告及び訴外洋子の法定相続分である各三分の一を乗じた価格は一億一九七三万四二三三円(円未満四捨五入。)となる

(二) 原告の取得した明舟町の土地の一部に対する共有持分の価格は前記二記載のとおり三四二七万三〇九〇円であり、西新橋一丁目の土地及び建物の三分の一の共有持分価格が前記一記載のとおり合計二七七五万五四二八円であるので、原告が本件和解当時までに一部分割を受けた相続財産の価格は六二〇二万八五一八円となるから、原告の未分割財産に対する相続分は、前記(一)記載の一億一九七三万四二三三円から右価格を控除した五七七〇万五七一五円となる。

(三) 明舟町の土地のうち借用地部分全体の相続税の財産評価上の価格が七四八万七二八〇円であることは当事者間に争いがなく、明舟町の土地のうち訴外洋子の取得した借用地部分の評価については右借用地部分全体の評価に対する訴外洋子の取得した部分の割合によるべきことは前記二3(二)記載のとおりであるから、訴外洋子の取得した明舟町の土地のうちの借用地部分182.75平方メートルの価格は六五七万九〇〇〇円となり(7,487,280÷207.98×182.75=6,579,000)、西新橋一丁目の土地、建物の共有持分は原告と同一の三分の一であるから合計二七七五万五四二八円となるので、訴外洋子が本件和解までに一部分割を受けた相続財産の価格は三四三三万四四二八円となるから、訴外洋子の未分割財産に対する相続分は前記(二)記載の一億一九七三万四二三三円から右価格を控除した八五三九万九八〇五円となる。

したがつて、原告が本件和解により訴外洋子から譲渡を受けた未分割財産に対する相続分は八五三九万九八〇五円である。

(四) 以上によれば、本件和解により原告の有することになつた未分割財産に対する相続分は、前記(二)記載の五七七〇万五七一五円に前記(三)記載の八五三九万九八〇五円を加えた一億四三一〇万五五二〇円となる。

四相続分譲渡に伴う負担

1  本件和解により原告が訴外洋子に対して和解金として二九〇万円を支払つたこと、右二九〇万円のうち、二一四万五〇〇〇円が訴外会社の株式の譲渡代金であり、残りの七五万五〇〇〇円が本件相続の相続分の譲渡に伴う負担であることは、当事者間に争いがない。

2 麻布台の土地及び建物の価格が一〇七二万三八七九円であることは、当事者間に争いがなく、前記三2(二)に述べたとおり、麻布台の土地及び建物は、原告の所有に属したものであつて、本件相続の相続分の譲渡の代償として、原告から訴外洋子に対し譲渡されたものである。

そうすると、右一〇七二万三八七九円は、本件相続の相続分譲渡に伴う原告の負担金というべきである。

3  右1及び2によれば、本件相続の相続分譲渡に伴う原告の負担金は、右1の七五万五〇〇〇円に右2の一〇七二万三八七九円の合計一一四七万八八七九円となる。

五債務及び葬式費用

本件和解により、原告が訴外金松の債務及び葬式費用について自己本来の負担部分に加え、訴外洋子の負担部分も負担することになつたこと、訴外金松の債務及び葬式費用が七六四万九五八三円であることは当事者間に争いがないから、原告の負担すべき債務及び葬式費用は原告の本来負担すべき右額の三分の一の二五四万九八六一円に訴外洋子が本来負担すべき右同額を加えた五〇九万九七二二円となる。

六総括

以上によれば、相続税法五五条の適用用上、原告が本件相続により取得した相続財産の課税価格は前記一(西新橋一丁目の土地及び建物)記載の二七七五万五四二八円、同二(明舟町の土地)記載の三四二七万三〇九〇円及び同三(右以外の積極財産)記載の一億四三一〇万五五二〇円の合計額二億〇五一三万四〇三八円から同四(相続分譲渡に伴う負担)記載の一一四七万八八七九円及び同五(債務及び葬式費用)記載の五〇九万九七二二円を控除した一億八八五五万五四三七円であり、国税通則法一一八条一項により、一〇〇〇円未満を切り捨てると、一億八八五五万五〇〇〇円となる。

第四本件処分の適法性

一本件更正処分の適法性

前記第二、四記載のとおり訴外金松の遺産の総額は三億五一五五万三一一五円であり、右第三、六記載のとおり原告に対する課税価格が一億八八五五万五〇〇〇円となるところ、訴外金松の相続人は子である原告、訴外千枝子及び訴外洋子の三人であることは当事者間に争いがないから、本件相続当時の相続税法によれば、別表一五のとおり基礎控除額は九六〇万円で相続税の総額の計算の基礎となる金額は三億四一九五万二〇〇〇円、相続税の総額は一億七六八〇万三八〇〇円(同法一一九条一項により、一〇〇円未満切捨てたもの)、原告の納付すべき税額は九四八二万八七〇〇円(前同)となるところ、本件更正処分における原告の納付すべき税額は八八六五万二八〇〇円で右納付すべき税額を上回るから、本件更正処分は適法である。

二本件決定処分の適法性

右一記載のとおり原告の納付すべき税額は九四八二万八七〇〇円であり、別表一3記載の更正により原告が納付すべき税額が三八三八万七二〇〇円であることは当事者間に争いがないから、その差額は五六四四万一五〇〇円となるところ、原告は右過少申告に関し正当な理由があると認められる事実があることにつき何ら主張、立証をしないから、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項により、原告の過少申告加算税額は右五六四四万一五〇〇円に一〇〇分の五を乗じた二八二万二〇〇〇円(同法一一九条四項により、一〇〇円未満切捨てたもの)となる。本件決定処分における過少申告加算税は一六三万六〇〇〇円であつて、右税額を下回るから、本件決定処分は適法である。

第五結論

以上によれば、その余の点を判断するまでもなく、本件処分は適法であつて、本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鈴木康之 裁判官加藤就一 裁判官塚本伊平は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官鈴木康之)

別紙別表一〜一五〈省略〉

別紙図面〈省略〉

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